インタビューシリーズ:第2回
前回に引き続き現役看護師の登山家、渡邊直子さんにインタビューです。渡邊直子さんは、現役看護師でありながらも、世界で14座存在する8000m峰の全てに登頂することを目標としてヒマラヤ遠征を繰り返す登山家です。
2021年春にはダウラギリ(標高8167m、世界第7位)に挑戦するも撤退を余儀なくされ、今回3度目の挑戦となるこの秋に見事登頂を果たしました。これまでの7座の登頂は日本人女性としては最多記録でしたが、今回のダウラギリ登頂でこの記録を更新する初の8座登頂者となりました。
コロナ禍での海外高所登山、それも雪崩で難易度が高いとされるダウラギリ。今回の遠征では一体どのようなエピソードがあったのでしょうか?
プロフィール ー 渡邊直子(わたなべ なおこ) ー
1981年福岡県生まれ。小学生のときにNPO法人遊び塾ありギリス(※現在は解散)に参加し、さまざまな野外活動を通じ登山経験もスタート。
中学一年生で初海外登山を経験し、その後2000年のマルディヒマール登頂を皮切りに数年おきにヒマラヤの高山に登頂、2021年現在8000m峰はすでに8座達成。※日本人女性としては歴代最多の8000m峰登頂数。2004年長崎大学水産学部水産学科卒業(2003年韓国済州大学交換留学)、2009年日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科卒業。
大学卒業直後に就職のため上京、看護師として働くかたわらヒマラヤ遠征を繰り返している。
写真:背景ダウラギリにて、渡邊直子さん
補足説明:ヒマラヤのような高峰の登山は長い日数をかけて大人数で登る方法が一般的です。
極地法と呼ばれる登山手法で、対象となる山の中腹に登山の拠点となる基地(ベースキャンプ)を設置し、それより高い場所へはロープを張って荷物を運び副拠点となるハイキャンプを設置するというサイクルを繰り返して徐々に山頂を目指します。登山家のサポート役として現地の経験豊富な山岳民族が雇われることが多く、また現地ではこれを始めとする登山ビジネスによって発生する収入が大事な立ち位置になることがあります。
ーーまず、登頂おめでとうございます!
ありがとうございます。
ーーでは早速、質問です。今年の春に一度ダウラギリに挑戦されていますが惜しくも登頂を断念されています。その理由をお聞かせ下さい。
こういう登山って複数のチームからシェルパを選抜して、先行してルート開拓を行うチームを作ったり、とにかく他の隊同士での連携と協力が大事なの。今回は6、7チームぐらいが居たんだけど、問題だったのは全体をまとめられるベースキャンプマネージャーが居なかったこと。
それで連携もバラバラで、みんな士気が下がっちゃって、この状況が断念せざるを得なかったのことの原因の一つかな。
ーー今回ダウラギリに登頂するにあたって、遠征中の流れ(状況)を教えて下さい。
まず、ダウラギリは雪崩が多くて、特に最初のBCから第1キャンプまでの区間もいつ雪崩が起きてもおかしくないロシアンルーレットみたいな場所。だから序盤から緊張を強いられた。それに1区画ごとの間隔が長い。
それから、エベレストなんかはキャンプ間の移動が3、4時間の時もあって1ヶ月くらいかけて登るんだけど、ダウラギリはそうじゃない。危なくて長い場所をパッと、サッと登る、みたいな。キャンプ間の移動も全て8時間以上かかったり。とにかく雪がすごくて。ロープを張っても埋もれちゃって使い物にならなくなったりする。そういうこともあって短期間に登る山なの。
今回のルート開拓チームは経験が浅いシェルパが多かったから、第2キャンプまではシェルパの代わりに登山家が自らルート開拓を行う事もあったりした。1回目の登頂アタックで、第3キャンプから2時間上がったところで「雪が深くてこれ以上うえには行けない」ってルート開拓チームが断念したの。
一端、第3キャンプに戻って、ミーティングをしたけど、シェルパたちも登山家たちも、みんな下山すると言った。士気がまた下がってた。でも、私はこうなることを予測して、今回自分のシェルパにルート開拓もできる強いシェルパを直接交渉で選んでいた。それがテンジン・シェルパ。彼がルート開拓をする決断をしてくれて、2回目の登頂アタックが決まったの。
その後、ルート開拓チームだったラクパ・デンディ・シェルパがテンジンの代わりに私のガイドを引き受けてくれた。さらに、他の隊のサヌ・シェルパ(8000m峰14座登頂者)がテンジンの道案内をすると言ってくれた。ダウラギリって頂上を間違えやすいのよ。彼らの決断がなかったら、今回、誰も登頂できなかったと思う。これは奇跡の登頂なの。
写真:ダウラギリ山頂にて、左からラクパ・デンディ・シェルパ、渡邊直子さん、テンジン・シェルパ。
ーー登頂された直後はどのようなお気持ちでしたか?
もちろん嬉しかった。けどそれ以上にシェルパが心配でしかたがなかった。登頂した隣で疲れ果てている(ルート開拓で)シェルパを見たとき、はしゃいで喜ぶなんてことは私には出来なかった。ものすごく疲れていたから。彼らを心配する気持ちのほうが強いというか、「大丈夫かな?」って思うほうが先立ってた。
頂上100m手前までは、テンジンが開拓して、最後は開拓チームが再びやってきてロープを張ってくれたんだけど、4時間もかかって。その間みんな夜中の極寒の中で凍傷の危機にさらされながら耐えたの。
ーー4時間!それは大変な作業ですね・・・。
そうなの。私たちは第3キャンプからアタックしたんだけど、第2キャンプからアタックしてくる人も多かった。その人たちは上で何が話し合われて成功に至ったのかを知らない。それに私は自分のシェルパを雇って登ってるんだけど、最近はシェルパを雇わないでベースキャンプサービスだけ使う登山家も多い。
その人たちは、ベースキャンプサービスの費用しか払っていないのに、シェルパが張ったフィックスロープを使って登るし、無酸素でやるって言っていざ上に着いたらやっぱり酸素ボンベを使いたいと言い出すこともあるの!その時使われるボンベは私たちのものだったりする。
ーーシェルパ族の方々ですが、直子さんにとってどんな人でどのような存在ですか?
偉大で、なくてはならない存在。登山家以上の”力”を持っている人たち。これからは多くのシェルパたちがスポンサーを付けて登山家としても有名になって、それで食っていけるようになってほしいと私は思ってる。登山家の陰で日の目を浴びない事が多いけど、もっと称賛されるべきなの。
最近は、人気(登攀技術の高い)のあるシャルパが独立をする傾向があるんだけど、会社ってマネジメント能力や経営能力がないとやってけないじゃない?だから人気があるからって安易に独立してダメになるケースが多くて・・。
これは元いた会社が正当なギャラを払っていないことも原因の一つではあるのかもしれないけど、実力の高い彼らを知ってるから悔しさを感じることがある。
あとはシェルパに支払う相場が上がってきた。そもそもシェルパのギャラって現地の物価、経済感覚からするとものすごく高いの。でもお金をばらまく登山家たちが増えたせいと言ったらなんだけど・・そこから更にバランスが崩れちゃって。一概には言えないけど。
日本人はお金持ちと印象を持たれていることが多いけど実際はそうじゃない。私たちも必死で働いている。登山をするためにね。みんなもそうだと思うけど、やりたいことを実現するときって何かしら費用がかかるものじゃない?私も同じ。実現するために必死で働いているんだぞっ!て思うこともあったりするかな。
ーーでは次に(コロナの蔓延により)ヒマラヤ登山の一時閉鎖と再開についてです。
ーー2020年に一時的に閉鎖をし、2021年の今年に再開をしました。現地の方々は実際に再開(ヒマラヤ登山ビジネス)についてどう考えていたのでしょうか?
ニュースにあったような、否定的な声はあまり見かけなかったかな。どちらかというと、「来てくれてありがとう」ってことのほうが多かった。
「うがい・手洗い」のような世間的に常識とされていることも知らなかったり、コロナについての情報も知らなかったり間違えていることもあったりした。これは識字率が低いことも原因のひとつだと思う。噂レベルで広がってしまっているのかもしれないけど。
ーー多くの危険が伴う8000m峰登山ですが、毎回どのようなお気持ちで登られていますか?
遠征に行く前には毎回覚悟して登っていることがあるの。それが”死”。家の中の大事な書類の場所や鍵の場所はわかるようにしておく。「万が一私が死んでしまったらこれとこれをお願い」みたいな、メモを書いてから行くようにしている。高所に限らずだけど山を登るって死ぬかもしれない”危険”を伴うこと。だからこそ登る一回の山を大事に楽しみたいと思ってる。
ーー高所の登山に怖さは感じますか?
え、怖いけど。(笑)
私、高いところ怖いの。下なんて絶対に見れない。でもそれを意外って思う人は多いかも。そういう場所が楽しい“クライマー”も中にはいるけど、私は怖い・・・。
クレバスをジャンプしなきゃいけないときとか、急斜面のアイスクライミングとか。もうとにかくほんと怖いの。(笑)でもそれも含めて楽しいのかも。
ーー第一回目のインタビューで無酸素登頂に挑戦したいとお聞きしましたが、危険が伴う無酸素登頂になぜ挑戦したいと思うのですか?
登頂の条件を変えて価値を上げたいから。酸素ボンベを使ってても悪天候と晴天では価値が違うし、酸素ボンベの使用数でも違う。ただ、無酸素登頂は酸素を使う登頂よりとても価値が高いの。
あとは看護師としての興味があるから。高度障害って実際に分かっていないことが多いの。限界を超えると異常言動を言い出したりする。体の中の酸素って90%以下だと救急車レベルなんだけど、高所では60%台まで下がるのよ。それで登山が終われば元に戻る。それってすごく不思議じゃない。今まで無酸素で行って限界を越える人たちを間近で見てきて、自分もどういう状態になるのか知りたい。
ーー限界を超える・・想像がつかないです・・。では、難しい山へ挑戦し続けるのはなぜですか?
新しい自分に会いたいから。だからこれからも挑戦し続けたい。
写真:酸素ボンベ着用時の渡邊直子さん
ーーでは次に登山活動についてです。前回のインタビューで幼い頃の「ありギリス」での活動が登山の元になっているとお聞きしましたが、その頃と今で登山に対する変わらない思いはありますか?
人間関係が面白いってこと。これは、今も昔も変わらない。みんなで登っていると色んなことが起きる。それがすごく面白い。良いことも悪いことも含めた人間模様や人間関係、何もない山の上で人と生活をするってことがとても面白い。
ーーでは最後に14座まで残り6座ですが、今後の登頂スケジュールを教えて下さい。
来年3月から7か月間で6座全て登頂して14座制覇をしたい。無理はしないで1座1座を大切に楽しみながら登りたい。
ーーありがとうございました!
近代登山が始まって以来、ヒマラヤの頂を巡る争いの中、その多くの場で影から登山家達を支えてきたシェルパ族。彼らが居なければ8000m峰を始めとするヒマラヤの峰々は今でももっと遠く離れた存在のままとなっていたのでしょう。彼らは山の案内人としての役はもちろん、“レジャー”目的で神聖な場所に訪れる人たちを受け入れるというのも、ヒマラヤでの登山が成り立つ理由の一つです。
とにかく登山者たちは彼らに頭が上がりません。表舞台にいる登山家の勇姿しかうつされていないアウトドア情報に違和感を感じるという直子さんですが、その登山家シェルパの関係も少しづつ変化しているといいます。
8000m峰全14座のうち最後まで冬季の登頂がなされていなかった最後の1座であるK2は、今年始めにネパール人のチームによって落とされました。その裏側にはさまざまな人同士の駆け引きがあったということはさておき、シェルパが一登山家として讃えられる機会となったことは間違いないのでしょう。
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渡邊直子
■渡邊直子オフィシャルサイト:https://naoko-watanabe.com
↓↓渡邊直子さん以前の特集記事はコチラ↓↓
「こんなに難しいと思った山は初めて、シェルパたちに感謝の気持でいっぱい」渡邊直子さん【日本人女性初8000m峰8座目登頂】
【インタビュー】
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