秘密1・「令和」と「梅」の深いつながり
元号が「令和」に決まったとき、その由来もニュースになっていました。和歌と関係があったことを覚えている方もいるかもしれません。「令和」は万葉集の中の「梅花の歌」という部分の序文に出てくる「令」と「和」の字を合わせた元号です。
これだけでも、「令和」と「梅」が関連があることはわかるのですが、序文を読んでみるとその文中にも「梅」が登場し、いっそう深いつながりがあることがわかります。ここで、序文の「令」と「和」が出てくる部分の書き下し文を引用してみます。
初春の令月にして 気淑(うるわし)く風和(やわら)ぐ
梅は鏡前(きょくぜん)の粉を披(ひら)く
蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す
先に、わかりにくい「気淑く」と「珮後」の意味を紹介します。「気淑く」は「空気は澄んで」というような意味です。「珮後(はいご)」の「珮」は装飾品のことで、「珮後」は直訳すると「装飾品の後ろ」になりますが、装飾品の後ろにいるのは身につけた人なので、「装飾品をつけた人」や「身分の高い人」と訳されることが多いようです。現代語訳は以下のようになります。
【初春のよい月に、空気は澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。梅は鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。】
なんとも縁起が良く、春の訪れを感じられ、同時に厳かな雰囲気のある文章ですね。当時、太宰府に長官として赴任していた歌人・大伴旅人は、西暦730年の正月に梅の花を題材とした歌会、「梅花の宴」を開催しました。序文は、その歌会で旅人が挨拶した言葉をもとに書かれたとされています。漢詩では出典のある言葉を使うのがならいで、「令月」という言葉も中国の古典からとられています。大伴旅人の教養の高さがうかがえる表現です。
現代語訳をみていただくとわかるように、「令月」の意味は「よい月」で、何をするにもよいおめでたい月という意味。梅花の宴が開催されたのは正月ですが、今の暦に直すと2月の初旬。ちょうど梅の花が咲き始める頃で、「梅の花」というお題は時期的にぴったりです。奈良時代にも、今と同じように初春に梅の花が咲き、和歌に詠んでいたのだと思うと感慨深いですね。
新元号決定の際には「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」という首相の談話もありました。素敵な意味を持つ「令和」の由来には、梅も大きく関係していることも覚えておきたいですね。
秘密2・梅はいつから日本にあるの?
730年に令和の由来になった梅花の宴があったことから、その時点で日本に梅が広まっていたことはまちがいありません。いかにも和風の梅は、古来から日本列島にあったような気もしますが、意外にも梅花の宴とそう遠くない時期に、中国大陸から伝来してきたのだそうです。
正確な年はわかっていませんが、遣唐使(630年〜894年)が、殺菌効果や整腸作用のある漢方薬「烏梅(うばい)」として持ち帰ったことが始まりで、烏梅を作るために梅林も拡大していったのだそうです。万葉集に詠まれた頃、梅はまだ伝来してから100年も経っていないぐらいの比較的新しい花だったということになります。
秘密3・梅は桜よりも人気があった?
前述の通り、大伴旅人は梅の花の歌を詠むために太宰府で歌会を開催しました。大伴旅人は、政治家でもあり、太宰府は当時、九州の政治の中心地でした。歌会に集められた歌人は山上憶良など、総勢32人にも及びます。この歌会は、天平の時代になってから初めて開かれる知識交換の場でもあり、旅人にとっては妻を亡くしたばかりの悲しみを乗り越えて開いた特別な会でもあったそうです。
そんな一世一代の歌会のお題が「梅」というのは、少し地味な感じもしますよね。梅と聞くと、今では、素朴な昔ながらの花という印象がありますが、奈良時代、梅はどのようなイメージの花だったのでしょうか?調べてみると、梅は、奈良時代には桜よりも人気がある花だったのだそう。花見も、奈良時代は、桜ではなく梅を見ることが主流だったといわれています。
梅は当時、華やかな歌会の題材としても申し分のない輝かしい存在だったのです。当時の梅の人気を示しているのが読まれた和歌の数です。奈良時代の万葉集には、桜の和歌が43首に対して、梅の和歌は120首もおさめられています。続く平安時代には、一転して桜の人気が高まり、百人一首では、ただ「花」と詠めば「桜」をさすほどになりました。時代が下り、江戸時代になると庶民も桜の花見を楽しむようになり、今に至るまで、桜の大人気は続いています。でも、そうなる前は、梅が一番人気の花だったのですね。
秘密4・梅は英語でもウメで通じる?
梅は、英語で表すとしたら、プラム(plum)です。でも、プラムだけでは、種類の異なる西洋のスモモと区別がつかないので、日本語そのままのウメ(ume)と訳されることもあります。正式には江戸時代にシーボルトが名付けた「プルヌス ムメ(Prunus mume)」という学名があり、ムメはウメの発音から来ています。欧米では、梅は日本のように多くはなく、カナダでは植物園ぐらいでしか見られないという情報もありました。
しかし、海外の園芸家の間では、梅は日本らしいめずらしい樹木として人気で、接ぎ木をしながら大事に育てている人もたくさんいます。ネット上では、梅の実を収穫して、自分で梅干しを作っている人もいるぐらい、熱心に栽培されている例も見られます。日本の梅が海外でも愛されているなんて嬉しくなりますね。海外の方に「ウメ」と言っても、梅を知らない方には通じませんが、育てている方や植物好きの方にはわかってもらえそうです。
また、もともと中国大陸から伝来した梅は、なんと中国の国花でもあります。今も梅は中国で親しまれていますが、日本と同じように近年では桜の方が人気になってきているのだそうです。
おわりに
梅には、元号「令和」とのつながりや古い歴史があることがわかりました。梅は花だけでなく、梅干しや梅酢、梅酒としても活用されていて、海外での人気も出てきています。それなのに、日本では桜ばかりが注目され、梅はあまりスポットライトを浴びていないようです。
あらためて見直してみると、花のかたちも可愛らしく、香りもよい梅。梅の花が見られる公園や観光スポットは意外とたくさんあり、山道などアウトドアでも梅の咲く姿は見られます。
今年の春は、ぜひ梅を探しに出かけてみてはいかがでしょうか?
【 この記事を書いている人 】
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