この地球で標高が8000mを超える山はヒマラヤ山脈及びカラコルム山脈に計14座存在する。その全ての頂に立とうと今まで多くの登山家が挑んできた。日本人でその全てを制したのはプロ登山家の竹内洋岳氏のみ。世界でも40人台しか存在しないその「14サミッター」を目指す現役看護師、渡邉直子さんが先日ダウラギリ(8167m)に登頂成功し、日本人女性としては史上初となる8座登頂者となった。
ダウラギリは1960年にクルム・ディムベルガーらによって初登頂された山で、サンスクリット語で「白い山」という意味を持つ。雪崩が多発するため登頂難易度が高いことでも知られる。標高は8167mで、世界で7番目に高い山である。まるで某海賊映画の船員集めのような話だが、第三の極地と呼ばれるヒマラヤでの登山は「公募遠征隊」と呼ばれる、シェルパ族を始めとする地元ヒマラヤの山岳民族が登山者に雇われ、サポート役として隊全体や登山家を支えるという形式で行われることが多い。
また、この公募隊では拠点とする基地(ベースキャンプ)から少しずづ道を開拓し、副基地を断続的に設置することで目的地を詰める「極地法」という登山手法をとっており、渡邉直子さんはこれに参加する形で数々の高峰にチャレンジしている。
今回、渡邉直子さんは後続の人が登りやすくなるよう山頂までの道を切り開く“ルート工作”を行うチームに混じりながら標高を上げたそう。しかし、諸条件の悪さから第3キャンプで登頂を目指すか、断念するかの議論が浮上。3度目の敗退になると思いきや、最終的には経験豊富で勇敢なシェルパの尽力もあり、登山を続行。3度目の挑戦にして初めて登頂が叶った。シェルパ族のサポートという仕事は、これによる収入が地元経済にとっては大きな影響を持っていることから、このヒマラヤ登山の登頂成功の可否には、雇い雇われ、従い、時に案や指示を仰ぎ、また時に助け合うという人間関係や金銭が大きく複雑に絡み合うことがあるようだ。天候や地形の難しさはもちろん、そうした人間関係の中での豊富な経験に基づく人と「やり遂げる力」があってこその登頂なのかもしれない。
シェルパの皆さんも、渡邉直子さんも、天晴だ。
” 渡邉直子さんよりコメント “
3回目のダウラギリ、10月1日午前6時に登頂しました。技術以外でこんなに難しいと思った山は初めてでした。天候が読めない、雪の多さ、雪崩です。私はルート工作チームとともに登っていました。彼らが登頂を諦めてしまい、私のシェルパ、テンジンが頂上までのルートを開く決断をしてくれました。彼がいなければ、今回、全ての人が登頂できなかったでしょう。
また、テンジンの替わりに私のアタックのサポートを決断してくれたラクパデンディシェルパ、山頂を間違えないようルートの見極めをしてくれたサヌシェルパ、ルート工作を手伝い、酸素ボンベ切れで登頂できなかったシェルパ達もいます。
私は登頂できて嬉しいですが、今回ルート工作をするシェルパ達をそばで見ていて、登頂することがいかに奇跡的に生まれることなのかを実感し、山頂で周りがはしゃいでいる中、ルート工作で疲れ果てているシェルパの姿を見て横ではしゃぐことができませんでした。今はシェルパ達に感謝の気持ちでいっぱいです。
写真:ダウラギリ山頂にて。左からラクパ·デンディ·シェルパ、渡邉直子さん、テンジン・シェルパ。
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