〜チョー・オユー登頂の記録 〜Vol.5【登頂と銃撃戦】

アウトドア

午前2時アタック開始

いよいよ最終キャンプ地キャンプ3から登頂アタックだ。私たちは数時間の仮眠をして、0時起床。テントの中で手袋を外すだけでも手がかじかむ。当時、「7000m地点で手袋を外すと凍傷になる」と教えられていたため、テントの中でも手袋は外してはいけないのだと思っていた。コンタクトレンズを付けるのに悪戦苦闘。真っ暗な中、素手でいることに恐怖と戦いながら準備をした。

登山靴はスキー靴に似たプラスチックシューズに、「オーバーシューズ」と呼ばれるサンタクロースに出てくるようなモコモコのカバーシューズを履き、そこにアイゼンを装着する。現在は一体型シューズが当たり前だが、当時はこのようなスタイルだった。

午前2時、キャンプ3を出発。人生で初めて、「酸素ボンベ」を使った。真っ暗で、どこを登っているのか分からないが、スイスイ登れる。これが酸素ボンベの威力なのかと感動した。本当に8000m峰に登っているのか分からないくらいの快適さだった。

渋滞で凍傷の危機

この日、たくさんの人がこの日に最後の望みをかけアタックしていた。ここで立ちはだかるのは「渋滞」だ。狭い道では渋滞が起こり数十分待つことがしばしば。待っている間、手の感覚がなくなっていき、凍傷の恐怖にさらされた。手足が痛いと感じるうちはまだいいが、感覚がなくなると危ない。再び動き出し、感覚が戻ってきたときはほっとした。

私たちのガイドは他の仲間に付き添い登っていたため、私は一人で登っていた。途中酸素が切れないよう、自分で量を計算しながら調節した。後ろから人を追い越すときは、ものすごい労力を要する。なぜなら、ロープから器具を外し、道を少し外れ、自分で雪をかき分け、前に出る。再び器具をロープに取り付ける。この作業が何十mも登ったくらいの労力なのだ。それでも、私は渋滞で凍傷になるくらいなら動きたかったため、どんどん人を追い抜いていった。

途中、岩に座って微動だにしない人がいた。まさかと思い、肩をたたいて意識確認をした。生きてはいたが、反応は薄く、放心状態のようだった。帰りに同じ場所に座っていなかったところをみると、再び動きだしたのだろう。

チョー・オユー登頂

午前7時15分、ヒマラヤ山脈・第6位・チョー・オユー8201mへ登頂した。

《登頂直後。エベレストを背景に。》

記録では、別の隊のシェルパ3人と私の計4人がその日の最初の登頂と記録されている。頂上はだだっ広いスペース。実際テントが張ってあった。後にも先にも、頂上にテントが張られている8000m峰は見たことがない。

《チョー・オユー山頂。テントが張られている。》

遠くにエベレストも見えたが、登頂時はどれがエベレストなのか分かっていなかった。下山後、ガイドに教えてもらい初めて知った。エベレストを背景に写真を撮っていたのが奇跡。写真を撮ってくれた人の計らいに感謝。

よく「登頂したときどんな気持ちでしたか?」と質問を受けることがあるが、この時は嬉しいという感情はそれほどなかった。頂上らしい頂上ではなかったというのもあったが、寒さで早く降りたかった。なにせ、登頂用ダウンスーツではなく、スキー用のジャケットで登頂したのだから。今考えるとゾッとする。寒さで15分もいられなかった。仲間が1人到着し、少し待ったが、他の仲間が上がってこない。やもなく下山することにした。

《山頂にて仲間と合流》

下山途中、他の仲間たちとガイドに会い、集合写真を撮った。私以外6000m以上の経験者はいない中、全員、無事登頂できたことは本当にすごいことだと思う。

下山途中、辺りが曇っていると感じていたが、それはコンタクトレンズが目に張りついていたためだとあとで知った。コンタクトレンズで8000m峰を登ることはお勧めしない。私はその後レーシック手術をし、今の視力はいまだに衰えていない。

ベースキャンプで銃撃戦

10月2日のこの日、私たちの登頂と同日、もう一つの大きなニュースが起こった。それは、ベースキャンプでの銃撃戦だ。ベースキャンプにはネパールへ渡れる峠がある。そこにチベット難民が逃げようとしたところ、中国軍が追ってきたのだ。

私たちのベースキャンプにルーマニア人のテレビカメラマン登山家がいたため、彼が一部始終を撮影していた。後で聞いた話では、私たちの隊に1人の難民が助けを求めて逃げこんできたため、彼はトイレテントにかくまったそうだ。その後、別の二人のチベット難民の命が失われた。撃たれた瞬間、そして、雪の中にご遺体が処理されるところを映像で見せてもらった。にわかには信じがたい話だが、4800mの世界でこのようなことが起こってしまった。

《登頂後ベースキャンプから望むチョー・オユー》

初めてのチベット。初めての8000m峰。初めての酸素ボンベ。どれも刺激的で、普段では味わうことのできない貴重な体験だった。大雪で、誰もが登頂を諦めかけていたところ、すべての隊から結成された15人のシェルパたち。彼らが道を切り開いてくれたことにより、私たちの登頂は叶えられた。このことを知っている2006年チョー・オユー登頂者がどれだけいるだろうか。私たちはこのシェルパたちの尽力を決して忘れてはいけない。

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