みちのく潮風トレイル 第19話 防潮堤の向こう側
3泊目、気仙沼市街での夜は、ゲストハウスを選びました。テントを干し、シャワーを浴びている間に衣類全てを洗濯。これだけでハイカーはハッピーになれます。加えて若者達との楽しい交流と美味しい夕食で、もはやここは天国です。
若者が震災当時のことを語る会が催されていましたが、睡魔に負けて参加できませんでした。お陰でしっかり睡眠がとれて体力回復し、気分良く最終日を迎えることができました。
南気仙沼は津波の激しい被害を受け、工事も遅れているとの事でした。海岸近くの平らな土地が、元はどんな町だったのか想像もできません。トレイルのルートは決められていますが、工事により道が全く変わっていて、とにかく歩けるところを探しながら歩くしかない状況でした。海岸に突き当たると高い防潮堤があることにも、もはや慣れてしまいました。
しかし障害物があると登って向こうを見たくなるのは人の本能でしょう。海を見るために階段を登りました。釣り人がいて、漁船が浮かんでいて、それを眺めている人がいる。ただそれだけのありきたりの風景が、日常生活から分断されていることに寂しさを感じます。
ところで大谷海岸の少し南の路肩に、メリーランドという小さなお店があります。ここはハイカーにとって、ちょっとしたオアシスとなっています。三陸といえば豪華な海鮮料理だけど、歩いている時にはジャンクなカロリーと人の温かさに飢えているのです。私もソフトクリームとお姉さんの笑顔で、エネルギーをチャージしました。
坂道を下り、日門浜に出ました。ここは近くに民家がないためか防潮堤が無く、気持ちの良い眺望がひらけていました。砂浜には行楽客の姿も見えます。港に漁船が停まっていて、若い漁師さん達が魚を捌いていました。挨拶をすると、「ウニ食っていけ!」。
喜んで受け取ろうと岸壁から身を乗り出した瞬間、サングラスが滑り落ちました。あっと叫ぶ間もなくドボン。漁師さんが慌てて網で追ってくれたけれど、深い海底へと沈んでいきました。高いウニ代となってしまいました。新鮮なウニはびっくりするほど美味しかったのが、せめてもの救いでした。
坂道を登っていく途中、先ほどの漁師さん達が軽トラで追い越しながら、手を振ってくれました。夏空の下で、日焼けした彼らの笑顔がまぶしく輝いて見えました。
普段の私は、一日中机に座ったままお金を右から左に動かすような仕事をしていて、全てがバーチャルな中で進んでいました。“働く”とは、自分の人生の貴重な時間を切り売りすることでした。そんな日々のストレスを解消してくれる豪華な食材が、どこでどうやって産み出されているのか、深く考えることもありませんでした。第一次産業は自分の惑星の外側にあり、食べ物はきれいにパッキングされた後、スーパーマーケットにワープしてくるものでした。
みちのく潮風トレイルは、三陸の生活の場を通り抜けています。ここには人が暮らすことの原風景があります。食べること、寝ること、触れ合うこと。全てが繋がっているのだと改めて気付かされます。都会とは違う豊かさがある。そう思うのも、都会人の身勝手なのでしょうか。土地の人は、この辺りは貧しいからこんな仕事しかない。と言います。しかし食べ物を生産する仕事が、お金を動かす仕事よりも劣っているはずがありません。だからこそ、港の風景を防潮堤の向こうへ追いやって忘れてしまわないで欲しい。
都会から来たハイカーは防潮堤を超えて漁港を訪れ、細切れにされた自分の世界観から消失したピースを少しずつ足して繋げてゆけばいい、と思うのです。
トレイルはそこから海岸線を離れて内陸に向かいます。津波の被害を受けなかった津谷の古い街並みにホッとしたところで、夏のハイキングを終わりとしました。3泊4日分の汗が染み込んだバックパックを担いでBRTとJRを乗り継ぎ、女川でハイカー仲間と合流しました。
防潮堤の代わりに町自体をかさ上げした、という豪快な町で、仲間と飲む冷たいビールの美味しかったこと!みちのくの地で、私は自分が人間であることを喜んでいました。本当は暑さのせいで、頭がトランス状態に近づいていただけかも知れないのですが。
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広島県生まれ。写真家、長距離ハイカー。2008年より写真家として活動を始める。2017年にニュージーランドの長距離ハイキングコース「Te Araroa Trail」を175日間かけて歩いたことがきっかけで、歩きながら写真を撮るシリーズを続けている。■主な写真展:2021年に個展「徒歩景色」みちのく潮風トレイル名取トレイルセンター開催。2019年に個展「emu」他多数開催。■出版:2018年に写真集「emu」出版。2010年にフォトブック「熱帯温室」他。