2021/9/29 Day5カタクリの宿テントサイト→小赤沢 出口屋
よく眠れた。集落の中だからなのだろうか。とても安心して眠れた。ずっと寝ていたいのだが、いつもの早い起床のせいで5:30頃には目が覚めてしまった。この日の工程は昨日の半分以下であるので、昼にテントサイトを出ても十分日没には間に合うくらいだった。短い工程の日は心に余裕がある。のんびり朝ご飯を食べた。朝からいただいた果物を食べた。トレイルでは贅沢な朝食だ。日が充分に上がってからテントサイトを出発した。快適で素敵なテントサイトだったのでまたいつか泊まりたい。その時は、宿の温泉にも入らせてもらおう。
まずは、有名な見倉橋に向かって集落の中を進んだ。住人のおじちゃんおばちゃんはもう起きていて、誰か知らない人が来たぞという目で私を見ていた。この日も晴れていた。頭上で鳥がチュンチュンと鳴いていた。庭で野菜を干していたり、洗濯物が風に揺れていたり、とても静かでのどかな雰囲気だった。
しばらくすると見倉橋に着いた。滑りやすく高い橋だと聞いていたので構えていたが、渡ってみると眼下にエメラルドブルーの美しい川が流れていて宝石の上を通っているかのようだった。少し湿った橋がまた昔ながらの雰囲気を醸し出していた。
橋を渡ると上り坂が続いた。時間にとても余裕があったのでゆっくりゆっくり登った。登り終わると見倉という集落に出た。見倉の集落は、私が見たことのある集落の中で一番趣があり、古き良き日本の姿が今の時代にまだ残っている場所だった。一軒一軒が歴史を物語っているようであり、昔にタイムスリップしてしまったかのようだった。収穫した野菜が並び、小川がチョロチョロと流れ、作業していた形跡があり、人が実際にここで暮らしているというのを感じた。冬場は買い物も大変だろうと思うが、こんなに時間がゆっくり流れている暮らしがうらやましくもあった。
集落の細い道を登っていくと森に入った。そこには分岐があり、一度迷った。地図は右に曲がるように書いてあるが、GPSでは左を差している。赤いテープがついているが、トレイルを指しているテープなのかわからなかった。道標も少しわかりづらかった。とりあえず一度右に行くと駐車場に出てしまった。駐車場の脇のトンネルの上を通るはずなので道を間違えた。
もと来た場所まで登り、左に行ってみた。進むとトンネルの上を通ることができた。なんてことない場所での道迷いだが、いざ道がわからなくなると、私はとてつもない不安に襲われる。小心者な性格の問題なのかもしれないが、山の怖さを知っているからなのかもしれない。
とにかく無事に進むことができてよかった。ここからはしばらく古道を歩いていく。斜面に平行に作られた、歩きやすい古道だった。昔の人も歩いていたと思うとくすぐったい気持ちになる。どんな人が歩いたのだろう、どんな人生を送っていて何を考えていたのだろうと思いをはせる。
その後、森を抜け大きな道路に出た。トラックなどの大型車が猛スピードでビュンビュンと通っている道路で、そのわきの狭い場所を歩いた。何度かヒヤッとした。歩く度にどんどん周りが山深くなっていくのが分かった。橋を何度かわたり、大赤沢という集落に着いた。大赤沢では寄ってみたいお店があったので行ってみた。山源食堂というお店だ。久々にザックを下ろし、ベンチに腰掛けて一息ついた。
宿など大きな建物が並んでいた。お手洗いをお借りし、おいしそうな栃の大福があったのでいただいた。甘い大福がおなかに入ると、幸せな気持ちになった。中を見させてもらうと手作りのお皿や小物や家具が所狭しと並んでいたので、じっくり見て回った。寄りたい店にも寄れて満足だった。
大赤沢の向こうはもうこの日の宿泊地である小赤沢だ。森の中の古道である牧之の道を歩いていく。このあたりの集落は秋山郷と呼ばれているが、その秋山郷の人々の生活や文化を世に知らしめた人が鈴木牧之という人である。このあたりのトレイルは牧之の足跡をたどることのできる道なのである。急な尾根を登った先に、江戸時代に飢饉によってなくなってしまった甘酒村の跡地があった。今はだれも暮らしていないが、平坦にならされたその土地にはなぜか人がいた雰囲気が漂っていた。
ずっと森の中の古道を歩いていく。向こうからご夫婦が歩いてきているのが見えた。立ち話を少しした。もう少しで小赤沢の集落に着くよ、頑張って、と言ってくださった。そしてチョコまでいただいてしまった。ありがたい。最後のひと踏ん張りは、そのチョコのおかげだった。
ついに小赤沢の集落に到着した。まだ朝の10:00過ぎだった。水が流れている音がどこからか聞こえてくる、乾燥した空気の静かな集落だった。あまりに早くに着きすぎたので少し観光してからこの日の宿である出口屋に行くことにした。まずは苗場神社でトレイルの無事を祈った。そのあと秋山郷総合センター「とねんぼ」に足を運んだ。中に入ると秋山郷の昔の暮らしの展示があり、小道具や本、生活用品や猟の道具までずらりと飾ってあった。
生活の知恵があふれている、ぬくもりある道具だった。じっくりと中を見させてもらった。
その後、この日の宿である出口屋に向かった。ご主人がマタギであり、小赤沢に行ったらぜひ出口屋に泊まるといいよと教えてもらっていたので楽しみにしていた。ガラッと扉を開けると出迎えてくださった。早く着きすぎてビックリされたが、すぐに部屋まで通してくださった。なんと角部屋であり、窓を開けると心地よい風が部屋中に入ってきた。ゆっくりしてね、と言ってくださったので昼前からのんびりさせてもらうことにした。
温かいお茶を飲み、ひと段落着いた。この日は体を休める日としていたので一つ一つの動作からすべてのんびり過ごした。それにしても畳の部屋というのは落ち着く。久々に屋根の下で眠れるので安心した。いよいよ明日はゴールだ。ゴールした後、乗り合いタクシーを予約しており、そのバス停がわかりにくいとのことだったので集落の散歩のついでに明るいうちに下見しに行くことにした。集落では様々な場所で水が流れていた。周りはすべて高い山々に囲まれており、坂の中腹に集落があるといった場所だった。今の時代でさえアクセスは容易ではない山深い場所であるのに、
この場所には人々が昔から暮らしていたというのはすごいことである。昔ながらの商店がぽつりぽつりと点在し、食堂はやっていなかった。農作業をしている老夫婦がいた。まさに時間が止まってしまっているどこか懐かしい集落だった。バス停も確認できた。待合所が木造の建物でできていた。楽養館という温泉がやっていたら行ってみようと思ったが、あいにくこの日は休館であったのでトレイルをゴールしてまた集落に帰ってきたときに行ってみることにした。ぐるりと集落を一周し、出口屋に戻った。早速、お風呂に入らせてもらった。何日ぶりのお風呂だろうか。ホカホカのシャワーを浴び、少し深めの湯船に浸かった。まだ外は明るい。芯から疲れがほぐれていき、あまりの心地よさに湯船の中で眠ってしまいそうになった。
お風呂から上がり、部屋で布団を敷いた。やはり連日の歩きで疲れがたまっていたのだろう、久々に入るふかふかの布団の中で昼寝をした。やはり布団は最高だ。体が包まれている感じがたまらなく安心する。昼寝をしたり日記を書いたりボーっとテレビを見たり荷物をいじったりしながら、のんびり過ごした。
おなかがすいてきた。下の食堂からは良いにおいが漂っている。ふらっと顔を出すと、もう準備できたので食べていいですよとのこと。クマの毛皮が敷かれた畳のいい香りのする大広間だった。壁には古い写真、賞状、マタギの道具などが沢山飾られていた。宿泊者は私一人だけだったのでその大広間を独り占めできた。
やっと夕食だ。私の目の前に並んでいる豪華な料理に胸が躍った。柔らかい鹿肉、大きなイワナの天ぷら、豊富な数の山菜料理、味がこれ以上ないほど味の染み込んだ煮物、漬物、甘いお酒、ほかほかのお米に温かいお味噌汁。久々の温かい料理に箸が止まらなかった。料理を心から堪能したというのはこのことだろうか。食べていると現役のマタギであるご主人が隣に来てくださった。マタギの事情やこのあたりの山のこと、集落のことや狩猟の分化のことなどご主人の話が面白くてついつい色々聞いてしまった。クマの毛皮まで触らせていただいた。
クマの毛皮の加工方法も昔は独自の方法があったが今は後継者不足で継ぐ人がいないのだそうだ。消えてしまう文化に対し、何もできない自分に歯がゆさを感じた。ご主人は本当に物腰が柔らかい人なのだが、猟の話になると目がギラっとする。その目を見て、この人は本当にマタギなのだなと思った。おなかもいっぱいになり、面白い話を沢山聞かせてもらい、本当に満足した。そして、次の日使わないテントなどを全て宿において出かけてもよいかと聞いたところ、快諾してくだった。
部屋に戻ってパンパンのおなかを抱えてベッドにもぐりこみ、テレビを見たり日記を書いたりしてゆっくり過ごした。ザックはほとんど中身をまとめ、もう朝を迎えれば出発できるようにしておいた。時間がたつほどドキドキしてきた。ついに明日はゴールだ。明日は天気が良いだろうか。怖い思いをしないだろうか。無事にゴールできるだろうか。左足の痛みはよくなるだろうか。道に迷わないだろうか。山頂まで何時間かかるだろうか。
色々考えてしまい、なかなか寝付けなかった。
&Green公式ライター
大学時代に初めて一人で海外に旅に出たのを機に、息をするようにバックパッカースタイルの旅を繰り返す。大自然の中に身を置いているのが好きで、休日はいつも登山、ロングトレイル、釣りなどの地球遊び。おかげで肌は真っ黒焦げ。次なる旅を日々企み中。