ヒマラヤ徒然草第十回「下山、いるべき場所へ」

ヒマラヤ徒然草

一年の試行錯誤と地道な準備の末、ようやく頂を踏んだ私はこの上ない喜びの感情と、それとは別にもう一つの違う感情が湧き上がっていた。

それは、淀みのない清々しいほどに澄み切っていて、はっきりとした、

「ああ、自宅に帰るのが面倒くさい。遠すぎだろ。ここどこだよ。」

という感情だった。

“ここ”を少し説明させて頂くと。
ここは自宅から公共交通機関及び徒歩で257時間かかる、ベースキャンプから不眠で十時間氷の世界を登った場所だ。これが僻地である。私は今その場所に立っているのだ。自宅が遠い事この上ない。

自分でも呆れるほどのこの感情は、「ここは人がいるべき場所ではない、戻らねば」という思いと、ちょっとしたミスが死に直結するほどの危険が伴う難所を越える際、ふと自宅の布団の香りが鼻腔を横切るという登攀時(※)思い出の想起につながり、気持ちを引き締めさせられた。※登攀(とうはん):高い所や、けわしい山などをよじ登ること。

そして、それぞれの思い出づくりを満足に終えた私達は、下山用のザイルを準備した。

夜明けにかかっていた雲はカラコルム方面へと消え、南にはグレートヒマラヤと思わしき山々までくっきりと眺めることが出来た。遥か下に見える氷河の末端には、登りに確認することが出来なかったデブリ(※)が見える。噂に聞く数日前の雪崩の跡だ。※デブリ:雪崩れた雪が堆積したもの

山屋の常識として、下山は一番危なく怖いものなのだ。だがしかし不思議なもので、登攀時にあんなにも辛く長く感じた雪の壁も、晴天の下山ではまるでポカポカした雪道下山かの様穏やかさを醸し出した。体力はとうに限界を越えており、少し目を閉じるとそのポカポカした陽気に誘われて寝落ちしてしまいそうだった。本当に恐ろしいことだ。

クレバスは自分が見ていた場所よりも長く続いており、渡ってきた”橋”のような部分は記憶していたよりも貧弱に見えた。登攀時はよほどアドレナリンが効いていたのだろうか。またこうして下山していると、まるでそれまでの自分の一年間のダイジェストを眺めるかのような気分になった。

ベースキャンプに戻ると、私は報告だけを済ませ、即個人テントに入った。行動時間をカウントするタイマーが示す、この一連のアタックにかかった時間は15時間30分。気温が低く、酸素も少ない高所で累計標高差2400m、水平距離10キロを不眠で登高、下山。本当に疲れた。よくやったと思う。私は死んだように眠った。

目が覚めたのは下界に戻る日でもある、翌日の朝だった。

《 凍てつく朝のベースキャンプ。》

物資を片付ける中で、雪炎を上げる山頂を何度も眺めた。なんとなく何度も見返してしまう。私はきっとこの何度も見返したくなるような不思議な感情を抱いて消化できずにいたのだろう。でもそれは寂しくて仕方がなかったわけではないのだった。

感情に名前を付けた昔の人間は本当にすごい。我々なんぞ、その感情にピッタリ当てはまる単語が無いだけで感情が消化できないと投げ出しがちなのに・・。その誰かはそこに名前を付けて、後の時代を生きるすべての人類がその感情を容易に消化できるようになったのだから。それを思うと、こうした消化不良の原因となるモノと出会うとき、我々も負けじと感情にじっくり向き合ってみてもいいと思うのだ。また、時おり感じるその意味不明な感情は色濃く思い出にも残る。結局あの感情はよくわからないままだ。私は、思い出は脚色してもいいものだと考えている。なので、あれは後になって考察し脚色するための、いわゆる自動生成される「経験の反省会」のようなものなのだろう。

さて、現代の極地法登山において「自身の隊の撤収=人間がいなくなること」というシチュエーションはなかなか無いことなのだろうが、これがまた撤収が進み、そこにある人間の”施設”が徐々になくなっていくと、再び未開の地のような息遣いをし始めるという面白いものだった。人が居ない山の面白さはこの撤収までにある。

私はベースキャンプを後にし、ひたすら荒涼とした高山砂漠を歩いた。なだらかな草原なのに非常に空気が薄かった。そしてその下には急峻な山々が並んでいる。山と平地の順番が逆になったようなその景色には、改めて心を打たれる。

途中、コンマル・ラと呼ばれる峠からはこの山群のかなりの広範囲を一望することが出来た。休憩するにはもってこいの場所で、昼食も兼ねて少し居座ることにした。

ゾ・ジョンゴ峰レポニマライリと呼ばれる山に始まる無名の6000m峰を含んだ山群もよく見える。(ロバの後ろの白い山)テントに顔を突っ込んだりと遠征中終始やんちゃだったロバは、また性懲りもなく私の昼食を狙ってザックに近寄ってくる。そしてそのロバと私のやり取りを見て笑う登攀小隊の仲間達。もう終わりかと少し寂しくなるが、食料もない。戻らねば。

大して息が上がらない下山では、順応しやすい上りのルートとは異なる、一気に標高を落とし一日で下界に戻る険しくて短い道を通る。なんだか拍子抜けしてしまいそうだ。

それとなく感じていた名残惜しさは、峠を越えて雪山が見えなくなった瞬間に一気に消え去った。同時に私の感情はシャワーを浴びおしゃれなカフェでアイスコーヒーを飲みたい。という文明ロスの一色に染め上げられた。それからはひたすら赤色の岩肌が露出したガレた山道を無心で下った。下れば下るほど酸素が体中にいきわたり、血が満たされる思いに私は喜んだ。そうして麓の村にたどり着き、再びジープに乗り込みレーに戻ったのは夕方前だった。

夢だった山との別れは意外にも速やかだった。「隣の芝は青い」のように、夢のさなかと日常の魅力の大きさはきっと一緒なのだろう。日常も夢のさなかでは夢が日常となり日常が夢となる。ありきたりのことではあるが、やはり日常を楽しく過ごすにはあらゆる新鮮な体験が起こる環境に身を置くことに尽きるのだろう。楽しさの本質の一つは意外性だと確信した山登りだった。

レーに戻った私はすぐに日本に居る身内や知人に無事と成功を知らせ、そしてシャワーを浴びた。

私はシャワーから上がるなり、すぐさま綺麗になったその体で街に出た。タンクトップ一枚で浴びる日光が幸せ極まりなかった。夕方前からは隊の皆で酒を飲み交わし、今更ながらそれぞれの国の話で盛り上がる。そして早速次の山の話になる。懲りない山屋の成れの果てが集まる場での恒例行事だ。

「俺はこのあとネパールに向かう、その後しばらくまた日本で過ごして、またここに戻ってくるつもりだ」

「俺は来年はフレンドシップ・ピークに行くかな」

「ヌン(※ザンスカールの有名な山)とかそのあたりには登らないのか?有名だし、デカイじゃん」

「あそこは俺のレベルじゃ無理だ。それにあのへんは今紛争で入れなかったっけか?というか、君こそそういうもっと高い山なんかどうなんだ?」

「俺にも無理だ。レベルが圧倒的に足りない。同じ標高を狙うならムスダーグ・アタとか、レーニン峰を考えるよ。でも、今は標高じゃなくて誰も知らないとこに行きたいんだ。そこは、昨日まで居たところからもっと奥に進めばあるんだ。」

違う国の人間同士とはいえ山屋同士。山の話をすると止まらない。私達は日暮れが過ぎても話し続けて宿に戻ったのは夜の9時頃だった。永遠に続くのではないかという時間もつかの間。来る別れは意外と早い。夜が明け、仲間たちは一人また一人と宿を離れ始めた。

若造の私とは違い、皆何かを抱えたまま山旅にきてるのだ。皆それぞれに忙しいのだろう。

私は一人に戻った。

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