みちのく潮風トレイル 第1話 『出会いに導かれて』
みちのく潮風トレイル、というロングトレイルをご存知でしょうか。
環境省によって整備された長距離自然歩道の一つで、北端は青森県八戸市の蕪島、南端は福島県相馬市の松川浦にあります。総延長1,025km、歩くための一本道として、2019年に全線開通しました。
私がこのトレイルを歩き始めたのは、2018年秋のことでした。それから8回に分けて、セクションハイクを行い、2021年に全て歩き終えました。
スルーハイキングをしなかったのは私なりの理由によるのですが、結果的に長い期間トレイルに通うことになり、激変してゆく三陸沿岸の3年間を目撃することにつながり、深い愛着が生まれ、人生に大きな影響を与えることになりました。
今回は、歩き始めた最初の日のお話です。
2018年9月。青森県八戸市の、鮫駅で電車を降りました。旅の最初は、高揚感と後悔から始まります。こんな遠くまで、私は何しに来てしまったんだろう…。押し寄せるアウェー感に包まれながら、トレイルのターミナス(起点または終点のこと)がある蕪島へ向かいました。
歩き始めてすぐに、小さな神社の横を通って漁港に出ました。周りの路上には昆布が並べて干してあり、浜仕事をしている人の後ろ姿がや海を中心とした生活のにおいが漂っていました。旅が始まったばかりの頃は身体も心もぎくしゃくしています。
私は非日常の時間を過ごしているのに、私が接している人々はここで日常を営んでいる。という、あまりにも当然すぎる状況が、妙に不思議に思えてしまいました。目の前には地に足のついた別の生活があり、ふわふわと実体のない私が亡霊のように通り過ぎてゆく。非日常というものがこそばゆく感じました。
海岸沿いの遊歩道に入ると、前方に1人で歩いている男性を見つけました。風体からしてハイカーのようでした。男性の後ろ姿はどんどん近づき、まもなく追いつきました。私が横に並ぶと、男性は、まるで待っていたかのように話し始めました。
ゆっくり歩きましょうよ。この道は何度歩いても新しい発見がありますよ。
男性はこの辺りの出身で、今は関東に住んでいること、実家は既に無いけれど、毎年戻って来てこのセクションを繰り返し歩いていることを、私に語り始めました。
それから私たちは、それぞれの身の上やら何やら、おしゃべりしながらゆっくり歩きました。途中ソフトクリームを食べたり、住宅街へ寄り道したり、たっぷり時間をかけて種差海岸に到着すると、男性は民宿へ、私はキャンプ場へとお別れ。連絡先を交換してさよならしました。
キャンプ場に着くと先客のテントが1つだけ建っていました。その若い男性と、焚き火を囲んでのおしゃべりが盛り上がり、夜遅くまで笑い転げました。当時のみちのく潮風トレイルは、まだ一部区間しか開通しておらず、歩いている人も少ないと聞いていました。初日からいきなり道連れができることなど、全く期待してもいませんでした。こんなにも楽しい旅の始まりは予想外でした。
そもそも、このトレイルを歩くきっかけとなったのは、ハイカーが集まるイベントでお会いしたトレイル運営団体の方から、みちのく潮風トレイルの公式マップを頂いた事でした。分厚い地図の束を私に手渡しながら、ぜひ歩きに来てください。という笑顔が印象的で、私にとって未知の領域だった東北へ、ご縁がつながった気がしたのです。
また、「ゆっくり歩く」というのは、この旅のキーワードの一つになるような気がしました。ニュージーランドのテ・アラロア・トレイルをスルーハイキングした時は、季節に急かされるように、ひたすら前へ前へと進み続けたものです。時々「もったいない歩き方をしているなぁ」と思うこともありました。今回あえてセクションハイクを選んだのも、会社勤めで取得可能な休暇の範囲内で、というのも理由ですが、ゴールに囚われず肩の力を抜いて歩いてみたかったのもありました。
立ち止まって目の前の風景をゆっくり味わい、一期一会を大切にしよう。お茶に誘われたら寄ろう。車から声をかけられたら乗ったっていいじゃないか。そんなゆるい目標を立てて眠りについた後、大雨が降り始めました。夜半からは突風も吹き荒れ、私のツェルトは浸水し、すべてがびしょ濡れの朝を迎えました。たまらず民宿に逃げ込み、出発2日目にして、ゼロディ(歩かない日のこと)となってしまったのでした。
逃げたっていいと思うのです。道のりは長いんだから、停滞も楽しめばいい。近くの商店で気さくなおかみさんと話し込んだり、快適な部屋でゴロゴロ怠けたり。それができるのが、人里をつないで歩く「みちのく潮風トレイル」の良さでもあると思います。
思わぬ始まりとなったみちのく潮風トレイル、これから予想外の展開になるなんて、この時は全く思ってもいませんでした。
■ みちのく潮風トレイル : https://m-tc.org/
■テ・アラロア・トレイル:https://www.teararoa.org.nz/
広島県生まれ。写真家、長距離ハイカー。2008年より写真家として活動を始める。2017年にニュージーランドの長距離ハイキングコース「Te Araroa Trail」を175日間かけて歩いたことがきっかけで、歩きながら写真を撮るシリーズを続けている。■主な写真展:2021年に個展「徒歩景色」みちのく潮風トレイル名取トレイルセンター開催。2019年に個展「emu」他多数開催。■出版:2018年に写真集「emu」出版。2010年にフォトブック「熱帯温室」他。