ベースキャンプへ向け、国境の街を出発。ネパールとは違い、広い広い平坦な大地が広がっている中、颯爽とジープで走る。その奥にドーンとそびえるチョー・オユーと連なるヒマラヤ山脈の山々。日を追うごとにそれらが近づいてくる。まるで、大きくなっていくような錯覚に陥る。この山に本当に登るのかと、だんだん怖くもなってきた。
途中、私たちの荷物を載せたトラックが脱線した。斜めに傾いたトラックを10人の男たちが引っ張っる光景は、ここは本当に2006年ですか?と思えるほど、原始的なやり方で、まるでタイムマシーンに乗ってきたかのようなワクワク感があった。運動会の綱引きでもやっているかのように、私たちは声援を送った。何時間もかけようやく元の道へひき戻し再び出発。
どこまでも広がる大地へテントを張る。巨大キャンプ場を貸し切っているような感覚。すごく贅沢で、ずっとここにいたいと思ってしまった。仲間とあれこれ語り合う。それまで、ガイドやキッチンスタッフたちと落ち着いて話したことがなかったので、改めてあいさつをし、それぞれの国の事情や家族のことなど教えてもらった。
私たちのガイドは1988年元総理大臣橋本龍太郎氏が率いた「中国・日本・ネパール1988年チョモランマ/サガルマタ友好登山隊」の登頂成功に貢献したシェルパの1人だった。その時にもらった賞状を大事にとっていて、なんとチョーオユーのキャンプ地で見せてくれるというサプライズ。彼にとってそれだけあの登山隊での経験がいい思い出として残っているということに日本人として嬉しい気持ちになった。今回は彼が息子を連れてきた。まだ登山経験も浅い。父の背中を見てどのように成長していくのか楽しみだね、と、皆で言いながらキャンプ生活は進んでいった。毎日が貴重な体験をしていると実感できる日々だった。
ベースキャンプへ向かう道中、仲間が次々に高山病でダウン。とはいえ、「頭痛い」と言いながらトランプをするその精神もクレイジーだが、それも今では笑い話になっている。一方、私は高所に強い身体のようで何事もなく進んでいった。高山病の一番の薬は高度を下げること。体調が悪いまま高度を上げると危険なので、体調不良者は一端下山し、回復してから戻ってくる、元気な者は上に進むなど、仲間の体調に合わせながら旅の工程を変えた。
途中、荷物が届かない事件も発生し、何日も同じキャンプ地で過ごすハプニングもあった。だれも怒ることもなく、トランプで時間を過ごし、やっと届いて一安心。必ず計画通りにはいかない。これが冒険の醍醐味だ。1人も欠けることなく、無事、全員4800mのベースキャンプへ到着できた。
正直、ベースキャンプへ着いた時の印象はかなり薄い。それより覚えているのは、「国境ってこんなところなんだ」「中華料理、おいしかったな」「トラックが脱線したな」「遠くから見るチョー・オユー、きれいだったな」「高山病になりながらトランプしていた奴いたな」「荷物届かないな」など、それまでの道中で起こったさまざまな出来事のほうばかり。今でも鮮明に覚えている。
「8000m峰を登山」という誰もが経験できないようなことをしにやって来ているのだが、本来の目的を忘れている時が多々ある。山登りに来ている感覚ではないのだ。
次回はベースキャンプ生活編。
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳より登山やサバイバルキャンプを始め、アジアの子ども達と海外登山や冒険キャンプをするようになる。小4で初の雪山登山に魅了され、中1で初めてパキスタンの4700m登山を経験。日本人女性初8000m峰8座登頂、日本人女性初世界トップ3座登頂他多数。現在は、アジア人女性初8000m峰全14座登頂を目指す。これはあくまで通過点であり、その先にあるもっと大きな夢に向けて様々な活動に取り組んでいる。
■ 2022年 1/15〜3/31 初の個展となる、【 渡邊直子展〜8000峰18回登山の軌跡〜 】開催中。