みちのく潮風トレイル 第15話 「ようこそ、沼へ」
祝日の碁石海岸は、観光まつりでごった返していました。
碁石海岸インフォメーションセンターに入ると、職員さんがこちらをじっと見ている事に気がつきました。私の大きなバックパックが邪魔をしているのかな。と思い、一度外に出てバックパックを置いて再入場しました。それからバスの時間を確認するために受付に向かうと、笑顔で「トレイルですか?」と尋ねられました。どうやら私の風体を見てハイカーと気付き、声をかけるタイミングを見計らっていたようでした。
当時はまだテント泊で歩くハイカーは少なく、良くも悪くも目立ってしまうのを気にしていました。だから「歩いてきてくれたんですね!」と歓迎して頂けて、こちらも嬉しかったです。
予定では、ここからバスで大船渡の盛駅まで戻り、更に三陸鉄道で3日前に泊まった越喜来まで戻るつもりでした。なぜなら、環境省のアクティブレンジャーで越喜来に住むSさんから「今日は潮目祭りだから戻ってきてね。」との連絡を頂いていたのです。その話をすると、職員さんから「バスは不便なので、碁石海岸口駅まで歩いて大船渡線のBRTに乗ったらどうですか?十分間に合いますよ。」と提案されて、もう少し歩く事にしました。
碁石岬からはるか沖の金華山を眺め、碁石浜、泊里、門の浜と漁港をつないで歩き、下り坂でアナグマに出会いました。五月晴れの空の下、真新しい防潮堤のコンクリートが眩しく照り返していました。防潮堤の脇に「自然と共に生きる。逆らうな」という看板が立っていました。なんだか意味深だなあと印象に残っています。
JR碁石海岸口駅に到着し、初めてのBRT(バス・ラピッド・トランジット)にワクワクしながら待っていると、見た目はごく普通のバスがやって来ました。そして元線路だったバス専用道をブンブン走って、盛駅のホームに停車しました。そのまま三陸鉄道のホームに移動し、可愛らしい車両に乗りました。
車内でみちのく潮風トレイルに興味があるという男性に声をかけられ、非常に熱く説明をしているうちに三陸駅に到着しました。2日半歩いた道のりを僅か数時間で引き返し、越喜来に戻って来ました。
「潮目」前の広場には大勢が集まっていて、手作りのステージでテレビで見たことのあるタレントさんが歌っていました。そもそも「潮目祭り」とは、震災の時にお世話になったボランティアさんへの感謝として、ワイチさんが始めたお祭りなのでした。あの時何も出来なかった私でも歓迎してくれる優しさに、感謝すべきはこちら側なのですが。
そして今日ここには、ハイカー仲間でありトレイル全線を数日前に歩き終えたばかりのH君も来ているはずです。早速、ビール片手に静かに佇むH君の姿を見つけ、ゴールを祝って乾杯しました。H君の話を聞きながらSさんの手作りシフォンケーキにかぶりついていた時、「おーい、来たか。」と声をかけられました。見ると羅生峠で私に声を掛けてくれたOさんが、すっかり出来上がった赤い顔をして手を振っていました。猟師さん達のバーベキューの輪に加わると、「いやあ、クマに襲われなくて無事で良かったよ。でな、もし襲われた時はこうするんだあ〜」と両手で頭を覆ってしゃがむ防御体制を実演してくれます。Oさんはクマを襲う側ですから、返り討ちを受けた時の備えは万全のようです。
みんなご機嫌で、笑顔が溢れていて、歌い、踊り、酔っ払いました。最後にみんなで「どんと来い岩手(越喜来版)」という歌を合唱して祭りはお開きとなりましたが、Sさんに連れられて押し流されるように居酒屋「秀っこねえ」になだれ込みました。
居酒屋で泥酔し大はしゃぎした私は、越喜来の皆様にすっかり覚えられてしまいました。隣の知らない人と馬鹿馬鹿しい話で盛り上がり、笑い転げました。その時に撮られた私たちの写真はSさんを経てトレイル関係者の手に渡り、トレイルのプレゼン資料に「ハイカーと地元との交流シーン」としてあちこちで紹介されているようです。
とんだ恥晒しでしたけれど、もはや何も恐れることはなくなっていました。時には飲んで歌って思いっきり楽しめばいいんだよ。そう笑って受け入れてくれる懐の深い人々がいます。だからハイカー達はここを「沼」と呼び、何度も帰って来ざるを得ないのです。
広島県生まれ。写真家、長距離ハイカー。2008年より写真家として活動を始める。2017年にニュージーランドの長距離ハイキングコース「Te Araroa Trail」を175日間かけて歩いたことがきっかけで、歩きながら写真を撮るシリーズを続けている。■主な写真展:2021年に個展「徒歩景色」みちのく潮風トレイル名取トレイルセンター開催。2019年に個展「emu」他多数開催。■出版:2018年に写真集「emu」出版。2010年にフォトブック「熱帯温室」他。