私は東京に住むデザイナー兼イラストレーターです。このコラムでは、山やトレイルに行けない時間に、私が描いた1枚の絵(1シーン)とともに、その絵にまつわる物語を少しだけお話しさせていただこうと思っています。
「なぜ山を歩くのか」
今回のテーマは、僕の登った山の話ではなく、なぜ山を歩くのかというお話。
正直北アルプスの穂高連峰を歩き回っているわけでもなく、ヒマラヤを登った体験もない。山岳ガイドでもないので、コースの紹介や体験記もそれなりにしかない。服部文祥さんが動画で栗城くんは3.5流とお話しされていたが、となると僕は999流くらいだろうか(笑)
そんな自分でも山が好きで登る。もちろん登山家を目指しているわけではない。では、なぜ山を歩くのか。
数年先は変わっているかもだが、理由は下記のようなことかな。
・絶景を見たいという想い
・シームレスでシンプルな暮らし(スタイル)への憧れ
・ロングトレイルを歩くための準備
ひとつ目の「絶景を見たいという想い」は、おそらく山へ登る多くのみなさんが思うことだろう。
日常では味わえない非日常の景色を見て感動したいのだ。朝焼け、雲海、いくつも連なる山々、どこまでも続く雪景色、真っ青な空とゴツゴツした岩場の臨場感などなど。自分の力でのぼり、その景色をみるという素晴らしい体験が山の上では待っている。
そのドラマチックな工程を短い期間で堪能できるのは、まるで映画を見ているかのようだ。そんな感動を味わえることが理由のひとつ目。
ふたつ目は「シームレスでシンプルな暮らし(スタイル)への憧れ」。
簡単に言えば、山も日常になり自分にとって境目がなく、シームレスな暮らし(スタイル)ができることを見つけたことだ。
昔の山のイメージは日常とは別世界で重いザックを背負って、山岳部の先輩は怖く、過酷な環境の中を過ごすイメージだったが、今はUL文化が入ってきて、その辺りのイメージがかなり緩和された気がする。
逆に古くからの登山スタイルの人々からは少し敬遠された目で見られることもあるだろうが、私は歓迎ムードである。(現に西東京の有名ショップの方もそのような思いや体験はされてきたと仰られていた。)
昔ながらの山好きな両親も、そんな軽装だと危ないとか、山を舐めるな!みたいなことを私に言ってきたが、それなりの心得はあるし、過信せず、少しづつ経験をしていき、自分なりのスタイルを見つけていけば良いのだと私は思う。
おそらく私もそのUL文化にのって山を好きになったひとりな気がする。UL文化の出会いは、ガレージブランドとの出会いもあるが、PCTを歩く若者がhyperliteのシンプルなザックとライトな格好で踊りながらトレイル を歩く姿に衝撃が走った時だと思う。
そこには山も街も同じスタイルで歩き続ける人たちがいた。日常と非日常が繋がった瞬間だ。街から山へ、山から街へ。そのシームレスでシンプルな生活スタイルにとても感銘を受けた。山と街がシームレスになり、道具と暮らしはシンプルに。
自然という大きなひとくくりの中で暮らすことの知識、挑戦と憧れが 山を歩くふたつ目の理由だ。
最後は「山を歩く」という表現にもつながるが、「ロングトレイルを歩くための準備」。
例えばアメリカのPCTを歩こうとすると1週間くらいは山や自然の中の暮らし。そのスタイルに慣れるべく、少しでも日本の山で経験値を積んでおきたいという思いから山へ行く。PCTを歩かれた憧れの存在の根津さんにお会いした時に、北アルプスを何泊か縦走できれば大丈夫よ!と言われたことを胸に、山へ行く時は準備だと思って楽しむことにしている。
そんな想いを胸に、私は山を登るというより、日々山を歩いています。
東京都在住。北アルプスでひと夏過ごしたり、バックパックでの旅、山、キャンプ、野外フェス、自然が大好きなデザイナー兼イラストレーター。アメリカをロードトリップした時のスケールの大きさに感銘を受け、やがてロングトレイルに出会い、PCT、JMTへの憧れを持ちつつ、日々絵を描いています。