初めての8000m峰挑戦。初めてのチベット。この日のために仲間と1年かけて合宿をしてきた。登頂するぞ!というより、「チョー・オユーってどんな山なんだろう」「とにかく行ってみたい」という好奇心だけで行くことを決めた。登頂できるとはさらさら思っていなかった。
世界には8000m級の山が14座ある。そのうちの1つがチョー・オユー8201m。世界で6番目に高い山。ネパールとチベットの国境にそびえている。ほとんどの登山者はチベット側から登る。登攀の難易度が高くないからだ。反対に、ネパール側はほぼ垂直な壁で、かつて挑戦した者はいたが、未だに登頂した者はいない。
当時私は、看護大学2年生。チョー・オユーのためならば、と、大学を休学するつもりだった。しかし、当時の学部長が休学せずに行けるよう配慮してくださった。おかげで後輩達と看護実習をさせてもらうという、まか不思議なとても貴重な経験もできた。今でもこの御恩は絶対に忘れない。
まず、8000m峰に何を持っていったらいいのか。そこから始まった。周りに経験者もいない。今ほどインターネットは活発でない。ただ5000m峰と6000m峰の登頂経験があるだけ。安易に、「あと数千m上ね」くらいの感覚。当時の登頂写真を見返したとき、背筋がぞっとした。
ダウンスーツでもない、日本の雪山で着るような薄い防寒着で登頂していたからだ。よくあれで登頂できたなと笑いがこみ上げてくる。登頂アタックの前日、最終キャンプ地で仲間の一人を見て、「あったかそうなものを着ているな」と思った。そのときまで、登頂用にダウンスーツというものがあるということさえ知らなかった。
《 初めて登山用ダウンスーツを見た瞬間を撮影した一枚 》
このエピソードからも分かるように、私が「登頂」というものを第一目標にしていないことがよく分かる。登ることももちろん楽しいのだが、それよりも、行ってみること自体に惹かれ、冒険を楽しみたい。その一心なのだ。行く目的など人それぞれ違っていていいのだ。
一緒に行く仲間は福岡県の冒険仲間3人。チームリーダーは私が小学生のときから一緒に冒険を共にし、スタッフとして私の成長を見守り続けてきてくれた兄貴的存在。破天荒でユニーク。色んな逸話をもっている。他、2人は私と同じくチョー・オユー登山に興味を惹かれ参加してきた同世代。ネパールもチベットも初めてで、本格的な登山経験も少ない。そんな3人と、古くからの友人でバウン族ネパール人をコーディネーターにつけ、出発。
登山ガイドは経験豊富なネパール人シェルパ。そしてその息子、17歳。実質ガイドは1人だ。今では1人の登山者に1人のガイドがつくのが主流だが、当時はこの登山スタイルだった。チベット側から登る場合は、ネパールから陸路でチベットに入国する。国境を越える際はかなりの厳重体制で、緊張したのを覚えている。陸路で国境を渡ったのはこれが人生で初めて。このように数分歩くだけで国が変わるのかと新鮮だった。
国境の街ではおいしい中華料理を食べまくり。なんて最高の街なんだろうと思った。ネパールの賑わった街並みもいいが、静かなチベットの街並みも素敵だった。
さっそく風邪を引いた仲間がいた。そこで教えてもらったザ・ネパール式治療法。その名も「布団かぶりハッカ油法」だ。湯を張った洗面器に数滴のハッカ油を垂らし、布団をかぶるのだ。薬を飲む習慣がないネパール人が日常的に行っている対処法だ。日本ではネブライザーという吸入器を使った喀痰を促す治療法があるが、それに似ている。しかし、ネパール人はこの「布団かぶりハッカ油法」で全ての邪悪なものが外に出て行ってくれるという考えのもと、風邪全般の治療方法としてポピュラーに行われている。
風邪を引いてもいない私だが、便乗して体験させてもらった。布団をかぶってしばらくすると汗だくで鼻水だらだら。サウナに入った後のような爽快感がある。隣で苦しんでいる仲間の横で楽しむ私。早く治ってね。
次回はベースキャンプに向けて出発。チベット山歩き編。
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳より登山やサバイバルキャンプを始め、アジアの子ども達と海外登山や冒険キャンプをするようになる。小4で初の雪山登山に魅了され、中1で初めてパキスタンの4700m登山を経験。日本人女性初8000m峰8座登頂、日本人女性初世界トップ3座登頂他多数。現在は、アジア人女性初8000m峰全14座登頂を目指す。これはあくまで通過点であり、その先にあるもっと大きな夢に向けて様々な活動に取り組んでいる。
■ 2022年 1/15〜3/31 初の個展となる、【 渡邊直子展〜8000峰18回登山の軌跡〜 】開催中。