【視線の先#001】 ATっていう長い道があるらしい

アウトドア

AT(Appalachian Trail)を知ったきっかけ

長年、心の片隅に引っ掛かりながらも手つかずで忘れ去られてしまった人生におけるバグのようなものは、きっと誰しもが持っているはず。別にそれが無くても生きていく上で特に支障は無い。そもそも忘れられるぐらいの不要不急で些細な誘惑。それを追い求めるが故にその先の人生がおかしな方向に転がっていく方がよっぽどリスキーだといい大人はみんな知っている。だからかつてのそのバグがある日ふと蘇ったとしても、「あぁ、そういえばそんなことも考えたっけなぁ」とあしらう。

そしていつもの暮らしを繰り返していく。

数年前までの自分は、都内の劇ブラック企業で残業休日出勤三昧。これと言って注ぎ込むような趣味もない割に稼いだ金はいつの間にかどこかに消えていく。サラリーマンあるあるを体現したような日々を送っていた。もちろんその時々にいろいろな不満があり、反省もし、願わくば改善を、とも思った。しかし劇的な“何か”が起こらない限り、長い間染み付いてしまった残念なマインドを払拭するのは難しいと半ば諦めていた。SNS上に流れてくるどこかの誰かのキラキラリア充投稿が映し出す世界は、もはや別の惑星のものにしか見えなかった。

そんな中ふと思い出した「Appalachian Trail(AT)」というワード。

■ Appalachian Trail(アパラチアン・トレイル)
アメリカ東部のアパラチアン山脈沿いにジョージア州からメイン州にかけての14州にまたがる約3,500kmの長距離自然歩道。「トリプルクラウン」と呼ばれるアメリカ3大ロングトレイルのひとつである。1968年に初めてのナショナル・シーニック・トレイル(National Scenic Trail)に指定されている。

前々職のブラック企業を辞めてプータローだった暗黒時代。実家でゴロゴロとTVを観ていたら、たまたまATスルーハイカーを追うドキュメンタリー番組に遭遇した。薄汚れたハイカーたちがそれぞれの想いを抱えながら、衣食住のすべてをバックパックに詰め込み《3500km》という途方もない距離の道を2本の脚で歩く。衝撃だったと同時に、得体の知れない熱のようなものが、一瞬だけ自分の中に沸いた。その熱は長引かずに段々とおさまったが、心に小さなしこりが残るのを感じた。でもそれも徐々に薄れしぼんでいった。ATという道の存在が頭に浮かぶこともなくなっていった。


しばらくして東日本大震災が起こった。例の劇ブラック勤務で有給が貯まりまくっていたので、それを全部使って長期の復興ボランティアに出かけた。寝泊りはテント村ということで、実家近所のアウトドアショップでソロテントを購入。それまでテント泊の経験が無く不安だったので、取り敢えず国産で一番高スペックのお高いやつを選んだ。残業バブルが初めて健全に活かされた買い物だった。

それから連休がある度に被災各地を訪れたが、時と共に復興ボランティアの募集も減り、最終的に使い道の無くなったテントが手元に残った。良い物だしこのまま寝かせるのは勿体ない。一先ず購入したアウトドアショップへ行ってみると、店内に貼られた「登山教室」というイベントシリーズの告知POPが目に入った。募集型のガイド付き登山ツアー。日程の中には1泊2日のテント泊山行もあった。これだ!!すぐさま店のスタッフに声を掛け申し込んだ。

山に登るのは子供の頃に父親に連れられて通った近場の低山デイハイク以来。シーズンを通してツアーに参加する中で気の合う友達もできてスタッフやガイドさんとも仲良くなった。山登りが楽しくなり、少しずつソロハイクもするようになった。

そしてある日、次の山行計画を立てようと職場のPCで検索をしている最中に、何故か突然ATのことが脳裏を過った。その瞬間、しぼんでいたはずのあのしこりが急に膨らみ始めた。ATが気になって仕方ない。検索バーに打ち込んだ「奥多摩」を消し、「Appalachian Trail」と入力し直してEnterキーを叩く。画面に現れたのは、まさにあの時観たドキュメンタリー番組に映っていた世界だった。目が離せなくなり、休憩時間が終わっても検索を続けた。


ATに関する未知の情報を紐解くほどに、過去に味わったことのないような高揚感と緊張感を覚える。これまで自分の周りを覆っていた灰色の靄が少し薄くなり、視界の端に微かな彩りが見えた気がした。

しかしその時はまだ、まさか本当に自分がATをスルーハイクすることになるとは思いも寄らなかった。

(つづく)

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