五色ヶ原の記憶 / その1
私は東京に住むデザイナー兼イラストレーターです。このコラムでは、山やトレイルに行けない時間に、私が描いた1枚の絵(1シーン)とともに、その絵にまつわる物語を少しだけお話しさせていただこうと思っています。
今回は「五色ヶ原山荘」で働いた時の思い出のお話。
昔々、高校生の頃、夏休みを利用して約2ヶ月間、五色ヶ原山荘にアルバイトに行くことになりました 。高校は埼玉の山奥にある「自由の森学園」という高校に通っていました。テストがなく、制服もなく 大学のような名前の通り自由な学校でした。授業中にサッカーしたり、スケボーしたり、後ろの席でXXXなどしたり、それはなかなかびっくりな感じでした。(もちろん一部の生徒が)自由なので芸能人もチラホラいらっしゃいました。今でいうと星野源さんの母校でもあります。
授業が終わると近くの名栗川に飛び込みに遊びに行ったり、今でいうカウボーイキャンプをしにダムに行ったり、飯能駅の近くの一人暮らしの友達の家に入り浸ったりと、今思えば、なかなか楽しそうな高校時代でした。ちなみに僕はサッカー部とアメフト部と美術部を掛け持ちしており、メインはサッカー部。アメフト部は数合わせのため参加で夏合宿だけ参加した記憶があります。(そこで人生初のランナーズハイを経験)サッカーをやりつつ、たまに美術室へ行って絵を描く。少し変わった生徒だったかもしれません。
と、そんな思い出話はともかく、なぜ山小屋バイトに行くことになったかいいますと、当時クラスメイトだったW君とOさんがお付き合いをしていたのですが、その二人がひと夏を山小屋で働きたいということになりました。しかしながら、当然のように両親は許すわけもなく、誰か一緒に行ってくれる人を募ったわけです。
そこで手を挙げてしまったのが私です。何故かはわかりませんが、強いて言うなら、小さい頃から度々親に連れられて山に行っていたせいでしょうか?とにかく手を挙げてしまったんです。 行き先を聞くと、北アルプスの五色ヶ原山荘。・・と・・遠い・・・。
ただ、ガイドさんが付いてくれるみたいだし、まぁ、良い経験かなということで、3人で山小屋に向かうことになります。確か室堂の方から歩いて行った気がしますが、正直かなり昔のことでうる覚えです・・断片的にしか覚えておりませんが、印象的だったことは覚えているもので、山小屋に向かう電車の中で初めてファッション誌を買って読んだというくだらない記憶が残っており、これの時代はオシャレに目覚め始めた頃でした。なので、ファッションというものがわかっておらず、当時山を登る格好といえば、ZEROPOINTのザックに紺の無名の登山靴。 上着はイトーヨーカドーで買ったようなダサいダンガリーシャツ、パンツはMIZUNOのジャージだったかと思います。
しかも状況によってはパンツINしていた記憶もあります。レインウェアは親父のモンベル上下。さらに赤いバンダナをおでこに巻き付け登っておりました。この山小屋バイトの後、服に興味が出てディッキーズのチノパンを腰履きしたり、でかめなポロシャツを着るようになっていきます(笑)
妻に当時の話をすると、山小屋で働いていたという、かっこいいエピソードとして想像していたのに、バンダナ写真を見て驚愕した模様です(笑)。ぜひ当時の写真を公開したいところですが、残念ながら手元にありませんでした・・。
バスに乗ってゆらゆら登山口に着きます。山荘に向かう途中の記憶は一つだけ。途中、まだ残雪があり、トラバースでかなりの斜面。下はガスっていて何も見えない状況、幅30cmもない場所を思いザックで通らなければいけないので、結構ビビっていました。その様子をみていたガイドしてくれたおじさんが「ここ落ちても平気だから!」とわざとその崖から落ちてくれました。
ガスの中に消えていくガイドおじさん。今でも目に焼き付いています。結構時間が経ってから、だいぶ下の方から「おーい、ほら大丈夫でしょう!」の声。 や・・結構落ちたで・・・。しかしながら勇気付けられたことは確か、無事に五色ヶ原山荘に到着することができましたとさ。
今回はここまでにしておきます。次回は山小屋で経験したことについて書きたいと思います。
東京都在住。北アルプスでひと夏過ごしたり、バックパックでの旅、山、キャンプ、野外フェス、自然が大好きなデザイナー兼イラストレーター。アメリカをロードトリップした時のスケールの大きさに感銘を受け、やがてロングトレイルに出会い、PCT、JMTへの憧れを持ちつつ、日々絵を描いています。