2021/9/25 Day1 レストハウスチロル→ 桂池
休暇前の最後の仕事が終わった。この日は仕事後に家には帰らなかった。ザックは車の中に入れてある。コンビニでトレイル初日の朝食とドライブのおやつを買い、家への道とは反対方向へ車を進めた。賑わいをみせている大通りに光る車のバックライトの列が、異世界へと私を運んでいく。4月にこの田舎町へと引っ越してきた。ついこの間新天地に来たはずなのに、また新たな新天地を目指している自分に苦笑した。
途中で夕飯を食べ、日付が変わった頃に道の駅『しなの』に到着した。静かな駐車場で仮眠をとった。
翌朝4:00に起きた。星が見られると期待していたが、空には真っ暗と雲がかかっている。眠い目をこすり、トレイルの出発点である『レストハウスチロル』まで車を走らせた。道中は緊張と不安で押しつぶされそうになった。
レストハウスチロルに着くころには空が白んできた。何も食べたくないといっている胃袋におにぎりを押し込み、ザックを出して靴を履く。風が生ぬるく湿っぽい。地図を出し、どちらの方向に進むのかを確かめた。進もうとする方向は分厚い霧で覆われ、先に何があるのか見えなかった。車に忘れ物がないか何度も点検する。普段よりも装備を軽くしているはずのザックがズシリと重い。
5:30頃、待ちに待った徒歩の旅を開始した。
随分と空が青みがかってきた。レストハウスチロルがある場所は信越トレイルではない。ここから急登を登りきった先の『斑尾山』が出発地点となる。まずはそこまで、濃い霧の中をひたすら登っていく。スキー場のゲレンデを登るが、濃い霧で道がよくわからない。後ろを振り返えると、うっすらと小さく私の車が見えた。後ろ髪をひかれる思いで急登をどんどん登っていった。
途中、朝日が昇ってきた。濃い霧の中に突然湧き出てきたモヤっとした朝日で、異世界にいるかのようだった。思わず手を合わせた。「無事に歩き切れますように」「怖い思いをしませんように」と。
斑尾山の方向を示す道標を見つけた。淡々と歩いていく。霧は相変わらず分厚く、木々の隙間が白くなっている。湿った森の中は、鳥の鳴き声一つせず、静まり返っていた。相変わらず空気は生ぬるかった。
出発から1時間ほどで信越トレイルのスタート地点である斑尾山に到着した。ひとまず霧でぬれたザックを下ろし、記念に写真を撮る。静寂に包まれた森の中でついに信越トレイルのスタートをきった。この日は、赤池を超え、桂池までの長い距離を歩く予定だ。
歩き始めると、だんだんと空が青くなり、太陽上まで昇ってきた。天気予報では悪天候だったが雲がきれいな晴れになりそうだ。スキー場の中をどんどん進んでいく。ぬれた足元のせいで何度か転んだが、視界の下に広がる広大な景色に胸を打たれた。人の気配が全くしなかったので音楽をかけながら歩いていく。点在する信越トレイルの道標を爽快な気分で通り過ぎる。
今まで頭の中で想像していただけの道に、実際足を踏み入れているという現実が心をくすぐった。これは私を旅好きにさせた一番の感情である。
途中『舗装路』に出て、一気にブナ林の中を登る。太陽は燦々と輝き、朝日が背中から照らしてきた。トレイルを歩くのは2年ぶりである。トレイルは、普段の登山とは一味違う。登山は頂を踏むことが目的であるが、トレイルは何日も歩き続けるという途方もない行為であり、漠然とするものだ。目的は何かと聞かれるとなかなか困ってしまう。達成感を味わいたい、というのも目的の一つではあると思うが、それだけの理由では登山も同じである。無になってただひたすら歩くというシンプルな行為を続け、自分の中の雑念の浄化作業をしたいから、とでもいうべきなのだろうか。
早朝の濃い霧の面影はどこにもなく、からっとした風が森の中を包んでいた。林道をくねくねと歩き、たまに舗装路を歩き、湿地に入ったかと思えば気づけば尾根を歩いていた。
赤池に着いたのは9:00頃だった。ここにもキャンプ場はあるのだが、もっと進むと決めていた。見晴らしのいい小屋があり、そこでパンを食べて小休憩をとった。周りには誰もいなかった。どこまでも青い空ではトンビが一羽飛んでいた。これから山に入るであろう格好をしている地元のご夫婦と出会った。「女の子一人で、まぁすごいねぇ」と何度も繰り返し言われた。
赤池からまた少し広葉樹林を歩いた。『希望湖』という美しい湖のほとりも歩いた。毛無山の山頂で休んでいると、ふと明るい光が見えたのでたどってみると、その先には大パノラマが待っていた。飯豊盆地の町、田んぼ、道路、山々が一望できた。ほっと一息つき、先の道へと足を伸ばしていく。
農道を通る場所もあった。二年前のアメリカのトレイルでは周りは人工物の一切ない大自然の中を歩いていたので人里に近い場所を歩くトレイルというのは実に新鮮だった。砂ほこりの舞う、直射日光の強い白い農道を駆け抜けるように歩いた。
涌井の集落から急登を登った先に 『富倉峠』という峠がある。ここの石段は見事だった。こじんまりとしているが苔むしたその姿に、会うこと、叶わなかった古の人々の姿が浮かんだ。道中にある、大将陣跡は越後の戦国武将・上杉謙信が川中島合戦の際に兵を休ませたところだといわれている。その跡地に私も寝そべって木漏れ日を眺めてみた。昔の人もこの道の一部を利用していたのだと思うと、風に乗って彼らの声が聞こえてくるようだった。
桂池までの道は林道歩きがほとんどだった。1年前、学生だったちょうど今頃はこのような林道を駆け回りなら調査をしたりしていた。懐かしい思い出に浸りながら歩きやすい道を歩いていく。途中、トレランの男の人に会った。そういえば、農道でも涌井の集落でも抜いたり抜かれたりした。彼はセクション1からセクション4まで一日で走り、夕方には飯山駅に向かうという。トレイルにはたくさんの楽しみ方があるのだと改めて実感した。
その後もただひたすら無心で歩いて行った。展望が開けている場所には小さな小屋があり、小休憩をとった。目の前には飯山の街並みがずっと広がっていて、こんなにも人間の生活する場所が近くにあるにもかかわらず、今自分がトレイルを歩いているというのが不思議だった。この日は歩いても歩いても終わらない、とても長い工程だった。
桂池に到着したのは15:00前だった。この日はセクション1からセクション3の途中まで歩くロングコースだった。手前の太郎清水では冷たくて少し甘い水があふれ出ていた。冷たい水を飲むと疲れがすべて飛んでいった。髪の毛を濡らし、顔を洗い、タオルで体をふくとあと何キロも歩けるような気がしてきた。
桂池の奥の少し小高い丘に桂池テントサイトはあった。ハイカー専用のテントサイトであり、数人がすでにテントを張っていた。芝生の上に転がり込み、この日の工程はようやく終了した。からからに乾いている秋の空が広がっていた。芝生のいい香りに囲まれながらテントの設営を開始した。靴と靴下を干し、久々に出したテントにも風を通した。
ほかのハイカーともよく話した。向かいのテントのご夫婦は、もう苗場山から歩いてきたらしく、延長ルートの情報を教えてくれた。2日後に全踏破できるらしい。なんとも微笑ましいご夫婦であり、うらやましく思った。隣で大きなテントを張っていたソロハイカーの男性は、私とほとんど同じ工程で苗場山まで向かう予定らしい。思っていたよりハイカーを見かけなかったトレイル上において、とても頼もしかった。ちょうど台風が日本列島に近づいていたので、エスケープ方法について話し合った。
だんだんと夕暮れが近づいてきた。スズムシの鳴き声が響く中、ザックに仕込んでおいたウィスキーをちびちびと飲みながら夕飯にした。ロングトレイルの夕飯は、一日の疲労を回復させ、次の日の重要なエネルギーに変わる。そのため食事選びは重要である。夕飯がおなかに収まると、疲れがどっと出てきた。早めにシュラフの中にくるまり、テントに入りたがっている蚊の音を聞いてウトウトしていたら眠りについていた。
&Green公式ライター
大学時代に初めて一人で海外に旅に出たのを機に、息をするようにバックパッカースタイルの旅を繰り返す。大自然の中に身を置いているのが好きで、休日はいつも登山、ロングトレイル、釣りなどの地球遊び。おかげで肌は真っ黒焦げ。次なる旅を日々企み中。