インド放浪記【1日目】

インド・コルカタの風

成田空港の外は雨だった。サンダルの底から冷たい水が滑り込んできた。つい先日も、1人で小さなザックを背負い台湾の街中に立っていた。どうしたものか、またこの空港に来て飛行機に乗るのを待っている。

飛行機は沖縄へと向かった。だ日本だ。これはまだ私の求めている刺激ではない。沖縄に上陸すると、次の飛行機まで時間があったので散歩がてら国際通りへと足を向けた。東京よりも生暖かい風に巻かれながら、ボロボロなサンダルと擦り切れたTシャツをまとった人が観光客に紛れて歩いていく。私はここには用はないといった目つきをしながらビールを飲み、おなかが空いたのでソーキそばを胃に入れた。まだ旅の経由地なんだと、どこか反抗しながらも沖縄を楽しんでいる自分を感じて少し気恥ずかしくなった。そんなことをしていたら空が赤く染まった。

次はタイへ向かった。タイへの海の上で私は盛大におなかを壊した。しかも夜中に。そして運悪く窓側の席だった。あのフライトはよく覚えていない。どうにかタイに着いた。異国に着いた。やっと求めていた異国に着いた。到着ロビーの鼻腔をくすぐるにおい。周りに日本人はいない。必要以上に頭を下げる必要も、周りと比べられる環境も、出た釘を打たれる心配もない。今までまとわりついていた鎖のようなものがスルスルとほどけ、私は自由を感じた。タイは、私が初めて海外に出たときに訪れた思い出の国だった。カオサン通りにでも寄りたかったが、次のフライトまで時間がなかったので諦めた。次回の楽しみに取っておくことにした。チェックインで手こずったが、どうにか時間通りに搭乗口にたどり着いた。そこは、私以外全員インド人だった。鳥肌が立った。ついにあの国への入り口に来たのだ。

2時間半のフライトは、息をのむような朝焼けに包まれた。日本からもインドの上からも同じ太陽が見えた。そして、ついにインドに足を踏み入れた。早朝の到着だった。旅のスタート地点はコルカタだ。蒸し暑い空気に巻きつかれながら、これから待ち受ける日々に期待し、身構え、思いを馳せた。空港の中を進みながら、今までの保守的な自分を脱し、自分の内に己を秘めながらも第三者への自分になり替わっていった。寝たのか寝ていなかったのかわからない少し朦朧とした意識の中、よくシステムの分からない入国審査を抜け、自分の荷物を取り、街に出る通路へと進んだ。

ドアを抜けると、そこは写真では見たことのある景色、でも感じたことのないインドが広がっていた。

街に出るために適当にバスに乗り込んだ。バスに女性の姿は見えず、男性であふれていた。荷物と一緒に床に座り込み、これからどこへ行くのだろうと考えた。ふと、声がした。バスの乗組員が「あそこの席が空いているから座れと言ってきた。言語は理解できなかったがそう言っていたのはわかった。バスは埃っぽい空気を循環させながら粗い道を進んでいった。

大きな町を通り過ぎそうだったので降ろしてくれと言った。バス停ではない場所で私だけ降りた。コルカタの街が煙の中に漂っていた。

歩いてみた。この道を進んだら宿がある気がする。そんな勘だった。もっと客引きが多いかと思っていた。しかし、コルカタの街の人間は自分のやるべきことに夢中で、日本人の私にはまるで興味がないように思えた。

何度も誰かの落とし物を踏んだ。ゴミが落ちていない場所はなかった。そのゴミの風景が、市場で売られている鮮やかすぎる花に物々しさを与えていた。車のクラクションの音、野良犬の喧嘩の鳴き声、人々の声、よどんだ空気、空を眺めている人間の多さ、大きな石がゴロゴロ落ちている未舗装の道を歩く自分の足音。どれもが刺激的で自分の五感に突き刺さってきた。

宿を見つけた。裏路地にある、入り口の小さな宿だった。窓が少なく、入った瞬間息をする空気を求めてさまようかのようだった。案内された部屋は3台の2段ベッドが置かれていた。
ベッドに着くなり寝た。久々に地面と平行になれる場所だった。

少しの眠りから覚めると、はっきりと物事がとらえられた。今コルカタにいるのだ。このベッドはコルカタにあるのだ。ついに来てしまった。水滴程度しか出ないシャワーを浴び、外が少し涼しくなっていそうだったので散歩に出た。路地をくねくねと散歩した。靄の中で沈もうとしている太陽が儚げだった。夜は宿で仲良くなった人と食べに出た。中国から来た人だった。夜のコルカタは少し肌寒く、異世界のようであった。

宿に戻り、向かいに寝ていたフランス人のロビンに名前を漢字で書いてあげた。ものすごく喜んでくれた。これが私の旅人と仲良くなるなり方だ。

翌日、朝早く起きた。朝のコルカタは靄がかかっていて美しかった。宿の店先でおじさんが新聞を広げていた。野良犬たちが喧嘩をしていた。平和な日常の情景が広がっていて心底ほっとした。露店のクッキーを買い、チャイを飲んだ。チャイを売るおじさんと仲良くなり、何杯も無料でおごってくれた。 

この日は映画を見に行った。インドに行ったら映画を見るべしとよく言われていたからだ。映画館はひんやりとしていて割と快適だった。始まる前に全員起立し、国家を歌った。私は歌えないが、その音色に耳を傾けた。映画はヒンディー語だったにもかかわらず、内容がかなり分かった。インドでやりたかったことはまず一つ達成した。

宿に戻る途中、朝のチャイ屋に行き、またチャイを買うと再び無料で何杯もおごってくれた。

宿に戻ると何やらベッドの上に紙が1枚置いてあった。ロビンからだった。彼はこの日の朝に旅立っていった。それは、彼が書いた私の絵だった。その後もダラダラとコルカタの街で過ごした。出るだけで刺激的なものに出会えた。日本にいるだけでは感じられない空気が広がっていた。次の行先はバラナシに決めた。チケットも買った。インドの寝台の3等だ。

宿で駅までの交通手段を手配してくれると聞き、時間まで宿の人と旅の話をしながら待った。時間になってタクシーでハウラー駅に向かった。どこの道も交通ルールがなさそうな無法地帯だった。よくこれで事故が起きないものだ。


車の間を縫うように走り、人すれすれの場所を走り、やっと駅にたどり着いた。広い駅だった。駅の中はもちろん、外も床まで人で埋め尽くされていた。美しい服装の人から物乞いの人まであらゆる人が一緒の場所に集まっていた。やっとの思いで自分の乗るべき電車の時刻や番線を確認し、夕飯を取ることにした。駅の端の人が入れ代わり立ち代わり入ってくる店で辛い料理を食べ、必死に水を飲んでいると、私の席の隣で拾ったコインの取り合いをしている子供たちの姿が目に入った。

この光景を見ると、世界の善と悪とは何なのかがわからなくなる。今自分がしていることは果たして正しいのだろうか。ただの傲慢ではないか。何が「世界を見てみたい」だと。

電車が来るまで長い時間が待っていた。「定刻」という言葉はこの国にはない。すべてが私情で動いている。そんなインドがどこかうらやましくもあった。だんだんと人が集まってきた。もうどこが駅の端なのか確認できなくなるほど人で埋め尽くされている。夜が深くなってくると電車がきた。

我先にと乗り込む彼らの波にのまれぬようにすっと電車内に乗り込んだ。初めてのインドの列車だった。3段ベッドがずらりと並んでいた。私の眠る2段目は、普段は背もたれになっているが、夜はベッドとして使うことができた。ベッドがなかなか作れずに困っていると周りにいたおじさんが手伝ってくれた。

彼らはいつでも裏のない笑顔を向けてくれる。それは自分が純粋にインドという世界にいることができてたからではないだろうか。インドは怖い、一人で行くところじゃない、と言っている人はふだん彼らに裏のない笑顔を向けられていないのではないだろうか。どこか見下していたり、慈悲の目で見てしまっていたのではないだろうか。

肌寒い列車の中で、人々の寝息が大きくなるころ、私も静かに眠りについた。

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