2022年4月19日現在。私はネパール・ヒマラヤ山脈・ローツェベースキャンプ5500mにいる。2回目のローツェ挑戦中だ。ローツェは世界で4番目に高い山。標高は8516m。
登りやすくなったローツェ
私がエベレストに登頂した2013年頃、ローツェはまだ難易度のとても高い山で、挑戦する者も多くはなかった。現在は、エベレストとローツェの連続登頂をする登山者が増え、ローツェ単独でもたくさんの人が目指す山となった。つまり、人がそれだけ入るということは、現地ガイドのシェルパたちがより多く登ることになり、ロープを張ってくれたり、雪をかき分け、登りやすいルートを作ってくれたりするのだ。それによって、登頂率は上がり、登りやすい山となる。
実はローツェベースキャンプとエベレストベースキャンプは同じ場所にある。私はエベレスト挑戦当時、ベースキャンプでローツェを登る人を雲の上の存在として尊敬の眼差しでみていた。自分が将来挑戦するなど、考えてもみなかった。
《2021年 エベレスト&ローツェ ベースキャンプ》
エベレストとローツェは隣どうしにそびえ、7300mのキャンプ3までは同じルートを登る。通常はローツェキャンプ4から登頂アタックするのだが、ローツェキャンプ4はスペースが狭いのが難点。多くのテントが張れないのだ。たくさんの人が登るようになったここ数年の兆候として、ローツェキャンプ4にはテントを張らず、キャンプ3から一気に登頂するのが主流になってきている。そうなると、登頂までの道のりは10時間から15時間ほどが予想される。友人のシェルパは「10時間で着くよ」と言っていたが、「ネパール時間」というものがあるので、もっとかかるのだろうなと予想する。
キャンプ3からの場合、エベレストのアタックより長い道のりとなる。さらに頂上直前に「クーロワール」と呼ばれる狭い傾斜を登攀しなければならない。滑落事故の多い難所だ。エベレストキャンプ4・名称「サウスコル」8000m地点からローツェに登る人もいる。
私は2011年と2013年の2度、エベレストに挑戦しているため、ローツェキャンプ3までは経験済みだが、その先は未知の世界。どんな冒険が待っているのだろうか。頂上直下には昔亡くなった遺体がそのままの状態で横たわっている。何年も強風にさらされ続けているのにそこに存在し、お顔の認識もはっきりできる。8000m峰を超えると、急病者やご遺体を運ぶのは難しい。ましてや、ローツェの頂上直下となると、難所クーロワールを下らなければならないため、さらに難しい。
登頂できないと思った。
2021年の春、私は一度ローツェに挑戦している。しかし、キャンプ1の手前5935mで引き返し、断念した。理由は体調不良。ダウラギリ遠征を終えたあと、登頂できるチャンスがあと1日だけと分かり、ローツェへ挑戦するか悩んでいたが、すでに払った資金は戻ってこない。ならば、「昔から知っているたくさんの現地スタッフに会いにいこう」、「行けるところまで行って次回へ活かそう」という意識で挑戦することに決めた。
5月24日にカトマンズを出発、5月25日にベースキャンプ入り、5月27日にベースキャンプから登頂アタック開始。超ハードスケジュール。ダウラギリ遠征で高度順応はしていたとは言え、ベースキャンプ滞在時間が短すぎた。急激な高度上昇に身体はついていってはいなかった。それはベースキャンプへ着いた日から感じていた。少し歩くだけでも息苦しい。安静時の酸素飽和度は94%だが、動作時はすぐ下がって、上がってくるのに時間がかかる。いつもとは違うと感じていた。
《ベースキャンプへ移動中にフェルーチェ村4295mにて》
友人のネパール人シェフへは、「今回は登頂できないと思う」とすでに伝えていた。「無理はしない」が私のモットー。余力があるうちにそそくさと下山しようと思っていた。
昔は早朝に出発するのが主流だったが、現在は深夜に出発するのが主流となっている。気温が上がる前に氷がしまった状態のうちに渡ってしまおうという考えなのだろう。何度も登ったことのある道ではあるが、深夜に登り始めるというのは初めてだったため新鮮だった。
1981年福岡県大野城市生まれ。3歳より登山やサバイバルキャンプを始め、アジアの子ども達と海外登山や冒険キャンプをするようになる。小4で初の雪山登山に魅了され、中1で初めてパキスタンの4700m登山を経験。日本人女性初8000m峰8座登頂、日本人女性初世界トップ3座登頂他多数。現在は、アジア人女性初8000m峰全14座登頂を目指す。これはあくまで通過点であり、その先にあるもっと大きな夢に向けて様々な活動に取り組んでいる。
■ 2022年 1/15〜3/31 初の個展となる、【 渡邊直子展〜8000峰18回登山の軌跡〜 】開催中。