みちのく潮風トレイル 第10話 「先入観から逃れたい」
ゴールデンウィークをまるまる使って、10日間しっかり歩く計画を立てました。八戸から歩き始めた「みちのく潮風トレイル」は、岩手県山田町の岩手船越駅まで進んでいました。
4ヶ月ぶりに戻ってきた山田町で迎えた朝、4月末とは思えない冷たい雨に春の花がうなだれていました。鯨山登山口にある陸中海岸青少年の家に立ち寄り、「これから鯨山に登ります。」と言うと、登山届のノートへの記名をお願いされました。雨が少し小降りになるのを待ち、「上は雪かも知れませんね。」と心配そうなスタッフさんに見送られて出発しました。
登山道を進むにつれ、雨はみぞれに、やがて白い雪に変わりました。山頂付近の岩場は凍りついていて、鎖を掴み必死でよじ登りました。岩の隙間にイワカガミに似た花が咲いていて、今が春であることを思い出させました。
標高610mの鯨山山頂には、鯨山神社の奥宮と怪しげな避難小屋があり、山田町と大槌町の町境になっています。本来ならとても見晴らしが良いはずなのに、その日は真っ白で何一つ見えませんでした。数ヶ月前に牛転峠から見た、あの象徴的な鯨山に立っているのだという感慨は、湧きようもありませんでした。下山しようとして、雪上の新しい足跡に気が付きました。誰かが大槌町側から登ってきて、神社に参拝あるいは清掃をして、また大槌へ下っていったようです。こんな雪の日に登山者があったことに勇気づけられ、嬉しくなって足跡をたどりました。
急な斜面で横歩きしたり、ちょっと滑ったりした足跡にほっこりしながら林道まで降りると、雪はなくなり新緑が雨に濡れていました。そして麓の浪板で満開の桜に感動するも、東京から岩手、海辺から山から海辺、春から冬から春、色々行ったり来たりするのに身体が追いつかず、疲労がどっと押し寄せてきました。ルート上にある“ホテルはまぎく”でお風呂に入り、温かいカップラーメンを食べてようやく落ち着きました。その日は途中で見つけたライダーハウスに泊まり、体力温存しました。
翌朝は美しい朝日で始まりました。小さな半島をぐるりと回って大槌漁港へ降りて、立派なイカ釣り漁船を眺めてから大槌の町へと入り、住宅街を通り抜けて城山へ登りました。地獄から天国のごとく良く晴れた日で、展望所から大槌町の中心と大槌湾、蓬莱島がくっきりと見えました。町には草ぼうぼうの更地が目立ち、海沿いの大規模な工事も他の土地と比較して遅いように感じました。
「大槌では町役場が被災し、町長をはじめとする町の中心人物がみんな亡くなったので、復興が遅れているんだ。」と、犬とお散歩の男性が教えてくれました。「待ってられないから元の場所に家を建て直したよ。」「それって大丈夫なんですか?」「また同じのが来たら大丈夫じゃないね。」軽く笑っておられますが、津波でお母様が亡くなられたとのこと。何気なく話されるので、そのまま流しそうになりますが、被災していない私にとってはヘビーな内容です。思わず言葉に詰まってしまいます。
城山から再び大槌の中心地まで、男性とおしゃべりしながら歩きました。被災した町役場は撤去され、更地に説明板だけが残されていました。遺構を残したくない、辛い記憶を目の前から消したい。という気持ちは、私にもほんの少しだけ理解できるような気がします。子供の頃、住んでいたアパートの下の階が火事になった後、黒焦げのドアが撤去されるまで、私はそこを通る度に目を閉じて走っていたことを思い出しました。
もはや被災地とか被災者という呼び方は決してするまい。と思いました。無機質なコンクリートで覆われようとしている海岸も、それが土地の人の願いであれば、余所者が意見することはできません。私たち旅人はただ、ここから消えようとしているもの、新しく現れようとしているものを、可能な限り先入観に囚われないようにつとめ、目撃するのです。
源水川では、津波で全滅したと思われていたイトヨが復活しており、じっと水面をのぞき込むとそれらしき魚影が踊っていました。なんという自然の力強さでしょう。空き地に繁茂する若木の薮さえも、もうじき切られてしまうと思うと愛おしくなります。
たくさんの人が、ここを訪れて見て何かを感じてくれたらいいな。初めてそんな気持ちになりました。
広島県生まれ。写真家、長距離ハイカー。2008年より写真家として活動を始める。2017年にニュージーランドの長距離ハイキングコース「Te Araroa Trail」を175日間かけて歩いたことがきっかけで、歩きながら写真を撮るシリーズを続けている。■主な写真展:2021年に個展「徒歩景色」みちのく潮風トレイル名取トレイルセンター開催。2019年に個展「emu」他多数開催。■出版:2018年に写真集「emu」出版。2010年にフォトブック「熱帯温室」他。