ヒマラヤ徒然草第五回:盲点

ヒマラヤ徒然草

マルカ村

さて、誇張した言い方をすればこの本は冒険記録な訳だが、実際、岩まみれの谷底を2.30kgにもなる重い荷物を背負いながら永遠と歩くということは、辛く地道なものなのだ。道中では、なにも面白いことが無いような書き方をしているのが、休憩中の仲間との会話以外、事実として面白いことが何もないのだ。とても地味である。これには自分でも少々驚いている。

考えていることといえば、行動の8割は「帰国してラーメンを食べたい」や「太陽の光がもう少し弱くならないだろうか・・・」「だれかこの荷物もってくれ」程度のことだ。

こうして、また数日が過ぎ、標高3800mのマルカ村に着いたのは9月に入る手前のことだった。

写真 / プレイヤーズストーン:古代サンスクリット語でおまじないが書かれている。岩でできた石垣のような台の形をしたもの。書かれている内容は恐らくタルチョと同じものだろう。道中でこれに出会った場合、左側を通らなければならないという作法がある。マニ車と一緒である。これの周りを一周歩くと徳や安全祈願になるらしい、エベレスト近辺でも似たような様式のものを見たことがある。

マルカ村に着いた直後、私は明らかな体の異常を感じた。朝からその傾向はあったのだが、それがより顕著になったのだ。体の火照りに酷いめまい、そして息苦しさ。飲んだ水分も胃までは行くのだがその先に吸収されている感じが全くしない、すべてが胃でストップしているかのような気持ち悪さ。高山病の症状とは違うということは明らかだった。

「ミントティーはよく効く」と村のラダック人に言われて、それを飲んだものの、心が落ち着くだけで体調は一向に改善する様子がない。取り急ぎマルカ村の民家で休ませてもらった。私は寝ていたかったのだが、3900mまで上がって、すぐに睡眠をとることは高度障害予防の観点からは良くないことなのだった。なぜなら、人は寝ると呼吸回数が下がってしまうからだ。

アルジュン(隊長)と相談し、背に腹は代えられないと30分寝ては起きての繰り返しでなんとかやり過ごそうと決まったのだが、これがまた地獄のように辛い。そして私はついにトイレで嘔吐してしまう。

ラダック人の伝統的なトイレは2階建てになっている。1階は肥溜め、2階の床中央には長方形の穴が開いており、その穴から用を足した後そこにシャベルで砂をかけて砂で流す、というような一風変わったトイレなのだ。(もちろん、自分の嘔吐物にも砂をかけるわけなのだが・・・)気候柄、よく乾燥するため、風向きによっては1階の入り口から吹き込んだ風によって粉塵と化した糞尿や紙が、穴から出てくるという仕様なのだが、私が体調をひどく崩したのはこうした衛生環境への適応が出来ていなかったからなのかもしれない。(※上の写真は別の場所で撮影したものです。モザイクをつけようか考えましたが、リアルを伝えたかったのでそのまま掲載させて頂きました。)

原因は不明だが、食中毒か、それに近い何かだということは分かった。渡航先での食中毒は今まで何度も経験してはいるのだが、この体験は、それらをグンを抜いて上回るほどに、1番酷いものだった。今はこうして冷静に文章を書けているが、当時の絶望感は半端なかった。なにせ一生懸命準備した遠征が、その山の姿を見る事すら叶わず終了するという恐怖は物凄いものだ。

それに加え、マルカ渓谷は電波が通じず診療所もない。車が通る場所までは最短で歩いて2日という精神的に非常に良くない状況だったのだ。山に集中しすぎていたが故に、まさかベースキャンプ到達前に病でノックアウトするという撤退シチュエーションなどまさに盲点だった。絶望のどん底かと思いきや、その状況を救ってくれたのが遠征出発前に念のためにと買っていた抗菌薬だったのだ。医学的にこの薬を素人が独断で服用することは良いことは言えないが、旅人の間では途上国で食中毒にあった時の対処法としては一般的なのだ。(※マネはしないでください)

少なくとも、当時の私にできる最善がそれだったのだ。これまでミャンマーやラオス、カンボジアで似たような目に遭い、その都度それで乗り越えてきた私なりの判断だった。結局、就寝直前にはなんとか歩けるほどには回復し結果的には事なきことを得たのかもしれない。だが、あの薬を持っていなかったらと考えると実に恐ろしい。(私はこの帰国直後、原因不明の高熱と低血圧で8日間入院をした。その前兆だったのかもしれない・・・)精神的に良くないことはそれだけに留まらず、この日のSpO2(※1)は88、最低値78まで低下してしまったのだ。ベースキャンプまで残り1000m以上のこの場所で80台に突入してしまったこともまた私に巨大な絶望を食らわせた。

この日は、日課である1日1ページの冒険日誌も書かずに死人のような顔でのビデオ日記だけを撮っていた。このビデオ日記内で私は、マルカ渓谷のことをヌブラ渓谷と言っており、(※ヌブラ渓谷=ラダックの北、東カラコルムとの間に広がる最果ての地とも呼ばれる場所)当時の私は本当に疲弊していたのだと実感させられた。

※1補足説明:山の難易度の指標として様々なものが挙げられるが、その一つとして高度が与える影響というものがある。私たちが生活する下界(=標高0m ※登山用語で日常生活を行う場のことを下界と呼ぶ)では、気圧が1013hpaだ。即ち1気圧である。標高が上がるにつれその気圧は低下し、酸素の量も同じように少なくなるということだ。高所での酸素の量が下界に比べてどれ程少ないのかは、その場所の気圧÷1023×100のパーセンテージで表すことが出来る。これが気温マイナス20度で6250mのKY-2の山頂ともなれば460hPa、つまり地上の46%の酸素しかなくなってしまうのだ。この環境下で運動を可能とする為のものが高度順応だ。とくに標高5500mを越える場所は極限の高所と呼ばれ、順応に失敗した状態で臨めば命を落としかねない。高度順応は簡単に言えば1日で高く登りすぎない、同程度の標高に数日滞在、散歩程度に体を動かす、水をよく飲む、などを行う。これによって少しずつ体を低酸素下に慣らすということだ。とくに水の摂取は重要で、我々の隊も4000mを越えた時点では1日4ℓの水を飲むこととなっていた。この順応について、どれだけ順応できているかを確認する手段としてパルスオキシメーターを用いた血中酸素飽和度(以下SpO2)の測定がある。パルスオキシメーターは指に挟んで使用する小型の装置で、SpO2は通常下界で98~100という数値であり、高所に行けば行くほど、また高度順応ができていない場合に下がるものだ。この隊ではベースキャンプ滞在2日目の時点でSpO2が80を下回った場合にはそのメンバーはアタックに参加できないという決まりがあった。サラ村に到着した時の私のSpO2は94で、この時までは順調に順応できていたのだ。

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