2021/9/30 Day6 小赤沢 出口屋→苗場山山頂
朝2:30頃に目が覚めてしまった。3:00にも目が覚めた。最終的に4:15に居てもたってもいられず布団からはい出た。静かで肌寒い部屋にまぶしい電気をつけ、身支度をした。テレビをつけてみたが、通販番組しかやっていない。朝食はおにぎりにしてもらった。宿の人を起こさぬよう、ミシミシと鳴る階段をゆっくり降りると暗闇に一つの紙袋が見えた。早く出る自分のためにここに置いておいてくれたのだと思うと温かい気持ちになった。
部屋に戻り、中を開けてみると二つの大きなおにぎりと漬物が入っていた。静寂に包まれた部屋の中でいただいた。これを食べ終わったらついに信越トレイルのゴールへ出発だ。
外に出たのは5:00頃。まだ空は暗かった。しかし、天気が良いのはすぐに分かった。星が瞬いていた。台風はまだギリギリ来ていないのだろう。私は本当に運が良いと思った。宿を出て、ヘッドライトを照らして道標を探した。暗闇に浮き出る白い道標。そこには苗場山としっかり書いてあった。
最初は舗装路が続いた。水の音が、獣の音のように聞こえた。トレイルの最終日になってもまだ何かに怖がっている自分にあきれた。舗装路を進んでいると、少しずつ空が白んできた。よかった、今日も太陽が昇る。苗場山登山道一合目には立派な滝があった。ここから山道に入っていった。
夜露でぬれた葉をかき分け、夜から朝に変わる静かで張り詰めた新鮮な空気の中、山道を進んだ。管理してくれている人がいるのだろう。道はきれいに刈ってあり、赤いテープが続いていた。途中沢を渡ったが、いかにも山奥といったような沢で気持ちがよかった。大きな梯子を渡り、進んでいくとやっと木々の間から青い空が見えた。雲一つない青空だった。ついつい足が速くなった。
三合目まで来ると駐車場に出た。数台止まっているのが見えた。今までの道を歩いていないなんてこの人たちはもったいないなと思いながら、登山届を書き、ポストに入れた。さあ、いよいよ最後の本格的な登山だ。
三合目から上は踏み固められた登山道であり、道迷いはしないだろうなという道だった。根っこが飛び出ている場所、大きな松が登山道の真ん中に生えている場所、登山道の修復作業がされている場所、大きな水たまりがある場所など表情豊かな登山道だった。
何しろ道が歩きやすい。沢山の人が昔から苗場山に登ってきたのだろう。それぞれの道標に次の道標までの距離と時間が書いてあり、道標間の間隔が狭かったので歩いていてやる気が出た。サクサクと登っていった。途中鎖場もあった。滑りやすかったが難なくクリアし、ついに景色が一望できる休憩スポットまで登ってきた。
後ろを振り返ると、先ほど出たばかりの太陽がずっと先まで照らしていた。信越トレイルの最初に歩いた山の尾根、山を下りた後の里、下の集落まで、なんと今まで歩いてきた場所がすべて見えた。まるで真っ青な空を背景にした一枚の絵のように見えた。天気は快晴。全ての不安が吹っ飛んだ。上から降りてくる歩荷しているお兄さんに会った。山小屋の人らしく、背負子で荷物を運んでいた。彼によると、延長後の信越トレイルを初めて制覇したのはガイドの女の人で、私は二番目であるらしい。全く狙っていなかったが、三本指の中に入れたことを知り、今までのペースをさらに上げて歩き出した。
今まで西側斜面を歩いていたので急に目の前が明るくなり顔を上げると、そこには天空の世界が広がっていた。どこまでも澄み渡っている青く深い空の下に、黄土色の秋の湿原がずっと先まで続いていた。それにしてもなんていい天気なのだろう。ところどころに池塘があり、まるで地面に空があるかのようだった。下には雲海が広がっている。ついに8合目にたどり着いた。細長く続いている木道が、私をゴールに導く一本の橋のように見えた。もう少しでこの道が終わってしまう。
今までの思い出が一気にあふれ出し、目の前の美しい景色をぼやけさせた。
歩きやすい木道を進むと、一番高いところに小屋が経っていた。苗場山山頂ヒュッテだ。あの山小屋の隣に、今までずっと目指し続けてきたものがある。ついにここまで来てしまった。
小屋に到着した。「この先1分で山頂」の表示が。
細い道を進むと、私が求めていた山頂の標識が目の前にあった。
2021年9月30日8:11 信越トレイル 斑尾山~苗場山 制覇
しばらくゴールしたことが信じられず立ち尽くした。やってしまった。信じられなかった。目の前にある標識が現実のものとは思えず、まるで自分と標識を宙から見ているかのような気がした。そっと標識に触れた。確かに、それは私の手の中にあった。
今まで歩いてきた道、出会った人、孤独感、不安、全てが何年も昔に起こったかのような感覚に陥った。それほどこの信越トレイルの110㎞を、濃く、長く、心を揺さぶり、また不安を抱えて歩いてきたということだ。今までの人生の中で歩いてきたどの道よりも、沢山の物語があったように思う。
それは単に山の中を歩いているだけのトレイルではなかったからではないだろうか。山から里、山岳地帯と様々に環境が変わる中で様々な人に出会い、刺激を受け、全てに対して素の感性を出して歩いてきたからなのだと思う。たったの6日間だったが、何年もの物語を一瞬で駆け抜けてしまった、素晴らしい道だった。
しばらく標識の前から動けなかった。風もほとんどなく、心地よかった。終わってしまったのだという事実を受け入れるのに時間が必要だった。鈴木栄治さんにいただいた羊羹をここで食べた。ゴールしてから食べると決めていた。栄治さんの優しさを思い出し、また視界がぼやけた。
重い腰を上げ、ゴールの標識を後にした。あとはこの山を下るだけだった。小屋のご主人がいたので信越トレイルを歩き終えたことをご報告し、一番景色のよいベンチに腰掛けた。靴を脱いで横になって空を見た。青い空が祝福してくれているようだった。周りには誰もいなかった。静かで穏やかで、自分だけの天空の世界のような気がした。気が済むまで横になった。
10:00頃、天空の世界とお別れをし、朝いた集落に向かって同じ道を引き返し始めた。山頂付近にあった苗場神社で帰路の無事を祈った。木道が終わり、鎖場に差し掛かると下から登ってくるに人に何度か会った。嬉しくて、挨拶がてら今信越トレイル歩き終えたところです、と全員に言ってしまった。
もと来た道を引き返した。早朝はまだ薄明るかった森が、帰りは緑あふれる森に変わっていた。そして森を抜け、集落へと続く、アスファルト舗装路に帰ってきた。6日間、肩の上にあった荷が一気に溶けてなくなった。本当にトレイルが終わったのだとわかった。
その後、楽養館に足を向けた。自分へのご褒美に一番値段の高いイワナ定食をいただいた。イワナの天ぷらが疲れ切った体にしみた。お店のご厚意でご飯をおかわりさせてもらい、おなかがいっぱいになった。幸せだった。温泉にも入らせてもらった。この日温泉に入るのは私が最初だったらしい。独特な温泉で、表面に膜が張っていた。浸かるとぬるめのお湯で心地よかった。少し暗めの浴室でじっとしていると、また、トレイルが終わってしまったのだという虚無感に襲われた。いつもなら歩いている時間にすでにゴールしてこうしてゆっくり過ごしている。不思議な感覚だった。
温泉から上がり、楽養館を後にしようとした時だった。2日目に一緒に歩き、同じ宿に泊まった男の人に偶然出会った。彼は次の日に苗場山に行くとのことだった。再会したご縁とお互いの無事を喜んだ。しばらく道中の話で盛り上がり、今後の無事を祈り、別れを告げて楽養館を後にした。道中持っている予備の水をすべて捨てた。身軽になって出口屋に向かった。
宿に預けていた荷物を取りに行った。全部歩きましたと報告すると自分の子供のように喜んでくれた。乗り合いバスまで時間があってどうしようか迷っているということを伝えると、旅館の方が日々暮らしている部屋に案内してくださった。本当にありがたかった。お菓子までいただいてしまった。申し訳なく思っていると自由にしてねと言ってくださったのでバスの時間までゆっくりさせてもらうことにした。テレビではずっとゴルフが流れていて、こんな世界があったなと思いつい見入ってしまった。別の世界が映っているかのようだった。
そして、小赤沢の集落を去る時が来た。出口屋の方が見送ってくれた。バス停まで歩いて行った。バス停の下見をしたのが昨日だったなんて信じられないほど濃い一日だった。肌寒い風が吹いていた。そして乗り合いバスが来た。思っていたより小さく、小型のバンという感じだった。乗客は私だけだった。バスに乗り込むとゆっくり動き出した。後ろ髪をひかれる思いだった。さようなら小赤沢の集落。さようなら宿の皆さん。さようなら信越トレイル。
バスから見える景色はどこか見覚えのある場所だった。私が歩いてきた道路を走っていたのだ。ちらほらと信越トレイルの道標が見え、ここは歩いた舗装路だ、と思ったら道が森の中に消え、しばらくするとまた歩いた舗装路を車で走っていた。道標が夕方の薄暗い光に包まれていた。不思議な気分になった。道は私が歩いていないときもそこに存在しているという当たり前の事実が生々しく私の中を取り巻いた。また、運転手のお兄さんがとても気さくで、自分のことを沢山話してしまった。お兄さんも集落の暮らしのことなど色々なことを教えてくれた。とても温かい旅の交流だった。見玉という集落でバスを乗り換えた。このバスも、私が歩いてきた道を遡って走った。真っ暗な道だったが、一目で私が歩いた道だとわかった。道との別れが胸を締め付けるほどさみしかった。その後津南町でまたバスを乗り換え、久々の街中の景色の中を走った。私が宿を予約していた吉楽旅館は森宮野原駅の目の前にあった。懐かしい場所に帰ってきた。ついに、この日の工程がすべて終了した。旅館の扉を開けると元気なおかみさんが出てきてくれた。ほっとした。あぁ、終わったのだと思った。
旅館でおいしいご馳走をたらふくいただき、洗濯をしてふかふかの布団にもぐりこんだ。明日はいつ起きてもいいからねというおかみさんの優しさがありがたかった。布団の中でじっとしていると思い出が次々に出てきた。今回のトレイルも色々な出会いがあって色々考えて色々感じて、不安は常に抱えていたがよくよく考えると嬉しかった思い出がほとんどだった。そして同時に、誰かに歩かせてもらっているということに気が付いた。道を整備してくれる人や運営してくれる人、応援してくれる人がいるからこそゴールできたのだと感じた。そしてこんな世の中だが挑戦しようと思ってくれて無事に歩き終えることができた自分にも感謝した。楽しかった、嬉しかった、感動した、不安だった、怖かった、自分の中にある全ての感情をぶち当てながら歩いてきたトレイルだった。そうして歩いてきて今ふかふかの布団の中にいることのありがたさをかみしめながら目を閉じて眠りについた。
次の日はゆっくり起きた。外は雨だった。今日苗場山に登っている彼は大丈夫だろうかと思った。そしてふと、私はトレイルが終わって普通の生活に戻ったのだということを思い出した。遅めの朝食をいただいた。久々のゆっくりした朝食だった。この日はありがたいことに佐藤有希子さんが森宮野原駅に迎えに来てくださる予定だった。約束の時間までゆっくりさせてもらった。そして旅館のおかみさんに別れを告げた。彼女の満面の笑顔に何度も心安らいだ。また泊まりたい宿の一つになった。そして久々に有紀子さんと再会した。ゴールしましたと言えてよかった。車で以前お世話になった森の家へ向かった。
森の家に着いた。久々の訪問だった。懐かしい人との再会。嬉しくて何から話せばいいのかわからなかった。スタッフの方みんなが出迎えてくださった。歩き始めてから7日目。私の両手に「信越トレイル全線踏破証」を渡してくださった。
&Green公式ライター
大学時代に初めて一人で海外に旅に出たのを機に、息をするようにバックパッカースタイルの旅を繰り返す。大自然の中に身を置いているのが好きで、休日はいつも登山、ロングトレイル、釣りなどの地球遊び。おかげで肌は真っ黒焦げ。次なる旅を日々企み中。