みちのく潮風トレイル 第5話 「同じ空の下」
突然、空からエビフライがパランと降ってきました。正体は、リスが種を食べた後の松ぼっくりです。その形からエビフライと呼ばれている食痕を見ると、心が躍ります。大きなアカマツの木を見上げてリスの姿を探しましたが、残念ながら見つけられませんでした。
その日の朝、国民宿舎くろさき荘に立ち寄った時、受付の男性に「トレイルにクマが出ているので注意してください」と声をかけられました。親子のクマの写真を見せてくれて、「すぐそこですよ。ラジオか熊鈴を鳴らして歩いてくださいね。」
クマと出くわしたくないけれど、他の生物もみんな逃げてしまう音を出すことは、私はあまり好きになれません。できるだけ鳥の声を聞いたり小動物の気配を感じながら、ひっそりと歩きたいものです。この日も熊鈴は鳴らさず、見通しの悪い場所では歌うことにしました。
久慈から宮古までは海岸段丘の地形で、台地の上から深く切り込んだ沢筋を通って海岸まで、急斜面を一気に降り、また一気に登る。その繰り返しで体力的には最も厳しい区間です。中でも普代村から田野畑村にかけての、旧陸中自然歩道から引き継がれたトレイルは、荒々しい断崖の上に昔は炭焼きをしていたという広葉樹林、アカマツやブナなどの美しい森があり、断崖の下では波が砕けています。
森の向こうには畑や放牧場が広がっていて、農機が音を立てていました。傍のヤマナシの木の幹には、クマの爪痕がくっきりと刻まれていました。はしごや手掘りのトンネルが連なる愉快な海岸を経て、田野畑村の机浜までやって来ると、津波が来た高さまで木が枯れている様子がよくわかりました。
震災以前、机浜にたくさんあったという番屋は津波で全て流されてしまい、その後復元された新しい番屋群が立ち並んでいます。観光用かとあまり期待していませんでしたが、よく見ると魚が干してあったり、洗った漁具が積んであったりと、現役で使われているようでした。ご自由にお入りください。と書かれた番屋をのぞいてみると、かすかに温もりの残るストーブ、散らばった座布団に生活感がありました。
翌朝、目覚めるとテントが真っ白に凍りついていました。厳しい寒さに震えながら海岸沿いの道路に出ると、海が煙っていました。初めて見る毛嵐でした。この辺りから復興工事による迂回が多くなってきました。工事現場で働く人たちの横を通る時、被災した場所に来てしまったという緊張感と、この空間で私だけが遊んでいる場違いさを感じて落ち着きません。なんだか誰かと話がしたくなって、島越駅の売店に立ち寄り、温かい缶コーヒーとお菓子を買いました。駅長さんは、暖房の効いた待合室で休憩させてくれました。
白井海岸には、トレイルの標識が急斜面のやぶの上を向いて建っていました。草を掻き分けて斜面を登ると突然、新しい住宅街に出ました。真新しいお家が建ち並ぶ中に、草1つ生えていない公園があり、そこが震災のあと高台移転した住宅地であることを知りました。住宅地はそのまま古い切牛集落へ接続し、集落の端の自動販売機の前にやって来ました。
みちのく潮風トレイルを歩く前に、東京三鷹のアウトドアショップ“ハイカーズ・デポ”のHさんから詳細なアドバイスを頂いていて、切牛から南はしばらく自販機が無いと聞かされていました。無いと知ると買いたくなるもので、また温かい缶コーヒーを買いました。すぐに飲まず、ポケットに入れてしばらく温もりを楽しみます。
切牛から海岸段丘の下へ降りて、真木沢という伏流している川に出ました。この日も全く水が流れておらず、晩秋の枯れた川の風景は世界の果てのように寂しく美しい場所でした。震災以前に、ここがどのような場所であったのか私は知りません。ただ何となく雰囲気のある海岸が気に入って、真っ青な太平洋を眺めながらひととき休憩しました。
生ぬるくて甘ったるい缶コーヒーと、この世の終わりを思わせる寂しい場所との組み合わせで、不意に数年前に読んだ本を思い出しました。
何らかの大災害によって文明が突然終わった後の荒廃した世界を、父と息子が南へ向かって歩いてゆく物語でした。幼い息子は海岸で灰色の海を眺めながら、この海の向こうにも同じような子供がいて砂浜に座っているかな?と言う場面。(※)
あの物語で主人公たちは、生き延びるために命がけで南へ向けて歩いていました。私はただ、自分の喜びのために、南へ歩いています。全く違う状況なのに、なぜかあの子供の問いかけと似たような空想をしていました。
遠く太平洋の向こう側にも、海岸沿いの長いトレイルがあるそうです。そこにもきっとハイカーがいて、私と同じように物思いにふけっているのかな、なんて。
空や海を眺めていると、世界が繋がっていることを思い出せます。都会での時間に追われた日常と、今ここで一息ついている非日常も、自然の恵みと厳しさの中で暮らすここの人々の日常も、生き物たちの息遣いも、みな同じ空の下で営まれていること自分の暮らしと決して無関係ではないことに気付かされます。
これから更に南へ歩いて行けば、本格的に震災の爪痕と向き合わざるを得ないでしょう。あの時、自分に出来なかったことが、この旅とどう繋がってくるのか。まだイメージは湧いていませんでした。可能な限り先入観に囚われないよう、新鮮な気持ちで受け入れ、感じられますように。と願いました。
(※)「ザ・ロード」コーマック・マッカーシー 早川書房
広島県生まれ。写真家、長距離ハイカー。2008年より写真家として活動を始める。2017年にニュージーランドの長距離ハイキングコース「Te Araroa Trail」を175日間かけて歩いたことがきっかけで、歩きながら写真を撮るシリーズを続けている。■主な写真展:2021年に個展「徒歩景色」みちのく潮風トレイル名取トレイルセンター開催。2019年に個展「emu」他多数開催。■出版:2018年に写真集「emu」出版。2010年にフォトブック「熱帯温室」他。